明るくユーモラスに実父の死を描いたドキュメンタリー映画
思い出すたびに温かな気持ちになれる映画
その映画を見た後で、はたと目を上げると、見る前とは景色が違っているという感覚が好きです。作品に酔う、というようなこととはちょっと違っていて、自分の立っている位置がすっとずれるかんじというのだろうか。
その感覚がどれだけ長く続くかが、作品の底力なのだろうと思っています。
その時はああ良かったー!と思っても、次の日には、内容も含めきれいさっぱり忘れてしまっている映画もあれば、随分時間が経っても、思い出すたび胸が熱くなるような映画もあるものです。
「エンディングノート」を観て数日経ちましたが、思い出すたびに、温かな気持ちが蘇ってきます。シンプルですが、力のある作品だと思いました。
明るくユーモラスに実父の死を描く
是枝裕和監督のサポート(今作のプロデューサーでもある)を受け、今作で監督デビューを果たした、若き女性監督である砂田麻美氏が、自分の父親が元気なところから死ぬまでの日々を描いたドキュメンタリー作品なのですが、まあ、明るくユーモラスに描くのです。湿っぽさや変な深刻さが全然ない描き方が好もしい。
主人公のお父さんは等身大で、とってもおじさんで、まんまそこにいるのだけど、普通に身の回りの人を思いながら、ささやかに善く生き切ることの偉大さをひしひしと感じさせます。
子どもとしての愛はありながらも、監督の客観性と感性は貫かれていて、そのクールさと編集の完成度の高さが、家族のプライベートな記録を素材とした映画であるにも関わらず、作品を見苦しいものにしていないのだろうと思いました。
ザ・段取り男のお父さんは、自分の死期を知るや、大はりきりで死ぬ事に向かって準備を始める。その、彼なりの哲学が貫かれていること。それをちょっとおちょくるような娘や孫の視点もあって、お父さんをかわいらしく見せている。
そうして、すべての人にきちんと挨拶を済ませ、思いつく限りのやりたい事と伝えたい事を終わらせて、お疲れさんとばかりに、無事お葬式とあいなる。
焼き場に向かう車窓の流れる景色を見ながら、エンドロールはハナレグミの「天国さん」。この映画の為に作られた曲ではないということですが、すばらしく音楽がぴったりと映画に寄り添っていました。
あるよ あるよ そこに あるよ いつもそこに あるよ
歌の歌詞のとおりに、この世からなくなっても、なくならないものが漂うようにそこには感じられました。
華々しくない無名の人だからこその値打ち
映画館を出ると、空がすごく高く澄んで見えました。
横浜駅までぷらぷら歩いて、帰りの電車に乗ると、いつも通り雑多な人たちがごみごみとひしめき合っていて、いつもはただ面倒でうざったいなと思うのに、映画を見た後はなんだか皆が他人のように思えなくて、不思議な気持ちがしました。
それぞれ自分の人生を、その人なりに楽しかったり辛かったりうんざりしたりすることもありながら、みんなけなげに生きているのだよなあ、ということが、出し抜けにぐーっと胸に迫って来て、色々あって世知辛いぜ、と感じる事が多いこの頃だったのに、ちょっと泣きたいようなほかほかとした気持ちでひとり電車に揺られて帰りました。
一体、どこまで人はすごくなんなきゃいけないんだろう。そこまですごくならなくてもいいじゃん。そう思いませんか?誰しもに何かしらの才能があって、それを十全に発揮できていなければ、まるでそれは無意味で失敗した人生のように語られがちなのが、今の世の中の有りようだと思います。
「グローバルに活躍」とか、「徹底的にこだわり抜くプロ意識」とか、「おしゃれでいつまでも美しく、子育ても妻も上手にこなしながらやりがいのある仕事を持つ主婦」とか。ことメディアで取り上げられるのは、いわゆる成功者や人気者たちが多い。この作品の「おとうさん」のような人は、まず登場することはありません。
もちろんキラキラした彼らの人生を垣間見ることは面白く、感心させられたり学ぶことも多々あるけれど、そのようなある種の枠にはまった(何かに秀でた、ある側面においては極端ともいえる)人々だけが大々的に賞賛されるという状況は、翻って「すさまじい非人間的なまでの努力を要することが善」というメッセージを繰り返し刷り込むことになってしまっているという側面があると思います。そこでは、もっと上を、もっと完璧を目指すのが人としての基本姿勢だし、それをしないのは本人の怠慢であるというのが、共通認識です。
映画においても、劣等感や競争心や危機感や恐怖を煽るもの、あるいは陶酔させたり鼓舞させたりする作品は枚挙にいとまなく、ありすぎるほどあるのに、「エンディングノート」のように、ありのままの現状をただ温かく見つめ、色々あるし冴えないんだけど、なんだか人生そんなに悪くないね、と思える作品は数も少ないし、ショックバリュー重視の大作に比べると多くの人々の注目を浴びることもありません。
「エンディングノート」には、もっと頑張らなきゃ、もっとああしなきゃ、こうしなきゃ、と見る人に迫るような要素なんてまあなくて、ただただ色んなことを悪くないなと感じさせてくれる、そんな映画でした。
余談ですが、作品を見た時映画館にいた人たちは、主人公と同世代のさんおじさんおばさんばかり20人くらい。平日の昼間ということもあり閑散としていましたが、皆大いに笑い、盛大に洟をすすっておりました。みんなで観る一体感を感じられるのも、いい映画のしるしですね。
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