戦争に恋愛とかっこよさを絡めた軽い映画 - フライボーイズの感想

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戦争に恋愛とかっこよさを絡めた軽い映画

2.52.5
映像
3.0
脚本
2.0
キャスト
2.5
音楽
1.5
演出
2.0

目次

第一次大戦中の実話から

この映画は、第一次大戦中実際にあったラファイエット航空隊のメンバーをモデルにしている。フィクションの部分も多いが、ノンフィクションのところもあるストーリーだ。
もともと、戦争映画は好きではない。観終わった後、心に重いものを残し、それは時に1週間ほども消えないことがある(「シンドラーのリスト」や「プライベートライアン」など、挙げればキリがない)からだ。
今回もタイトルからして、戦時中の飛行機乗りの話だということは容易に想像がついた。でもアメリカの飛行機乗りの話なら、日本の特攻やカミカゼのような悲惨さと暗さはないだろうと観ることに決めた。もしこれが日本のカミカゼの話なら絶対に観なかったと思う。
結果、想像通り軽い映画だった。戦争の愚かしさや残酷さよりも、そこで戦った男たちの騎士道精神やヒロイズム、美しく昇華された恋愛などが強調されており、戦争映画のような重さはなかった。
でもなかったらなかったで、少し物足りないような気がするから不思議だ。どうしても戦争をきれいに描かれすぎていることに、日本人ならではの抵抗があるからだろう。
とはいえ、彼らは召集されたわけではなく志願して行った外国人部隊だ。日本とはまた違った背景があったとしても、当たり前なのかもしれない。
またタイトルの「フライボーイズ」も、これまた邦題、安いタイトルをつけたなと思ってしまった。あの時代に売れた「ウォーターボーイズ」にかけたのだろうと思ったからだ。しかし意外にこれは原題そのままだ。でもいくら原題であろうと、安いなと思うことに変わりはない。内容そのまま軽くはあるけれど、もうちょっと何かないかと思ってしまった。

カラフルな個性の登場人物たち

代々受け継いできた牧場をつぶしてしまったローリングス、ちゃちな銀行強盗を犯してしまったせいで国にいれなくなってしまったビーグル、黒人ボクサーのスキナーなど、この映画には魅力あふれる登場人物たちが光る。しかも彼らが実在していたとなると、一気にストーリーが締まるように思えた。
リーダー役のキャシディは同期を皆亡くし、戦争の厳しさをその態度によってローリングスたちに教えようとしていた。ぶっきらぼうで冷たいその言動に最初は相容れなかった彼らだったけれど、次第に打ち解けていく。その様子はキャシディの表情からも伺われ、元来愛情深い人間なのだろうというのはところどころで感じられた。
新兵だった彼らもどんどん成長していく。特にローリングスの牧場育ちらしい陽気さと大胆さは、飛行機で飛び立ち死に触れるごとになりを潜め、リーダーらしい器が育っていく。それを違和感なく感じられることができた(彼を演じているのは「スパイダーマン」での金持ち息子が印象的だったジェームズ・フランコだ。あの役よりも今回の役のほうがはまっているのではないか。そう思えるくらい自然に演じていた)。
また黒人であるスキナーを快く思っていなかった富豪の息子ロウリーは、スキナーに命を助けられたことから自分が嫌なヤツだったことを詫びる。その時和解の印に100年物のコニャックを開けるのだけど、これは何だかおいしそうだった。個人的にコニャックやウィスキーなどの蒸留酒は飲めないのだけど、この場面で二人が飲んでいるのを見るとその香りや濃厚さが感じられて、ちょっと喉を鳴らしてしまいそうになってしまった。
ただ、キャシデイのクールさを強調するためか、彼は大きなライオンを一頭飼っている。この設定はいらないように思えた。しかも恐らくはライオンと役者たちは別々に撮影されたのであろう、合成特有の違和感も感じられたし、そんな違和感を感じさせてまでするほどの設定ではないだろうと思ってしまった。
もう1つ、そのライオンにびっくりしたローリングスにキャシディが「犬がそんなに怖いか」と言っていたが、ここは「猫」と言ってほしかったところだ。

ローリングスとルシエンヌの出会い

この映画のもう1つの見所は、ローリングスの恋だ。不時着して売春宿の女たちに助けられたローリングスはそこでルシエンヌに出会い、恋に落ちた二人は急速に近づいていく。のだけど、「パールハーバー」でも思ったけど、そんな簡単に軍の所有物である飛行機に恋人を乗せていいものなのかと、いちいち疑問に思った。彼らにしてみればバレないのだからうるさく言うなということかもしれないが、当時の日本兵からしたら考えられないことだろう。
戦争のことや勝利のことばかりだけでなく、自分が楽しむことも忘れない個人主義のアメリカ人らしいが、こういう場面を見るのは決して嫌いではない。規則に縛られない自由感を感じるからだ。実際彼らがこういうことをしていたのかどうかはわからないけど、この自由感は日本にはないところだと思う。
少し違和感を感じたところは、ローリングスと出会ってからのルシエンヌの英語能力の向上の早さだ。会ってすぐはまったくわからなかったのに、その後はたどたどしいながらも急速に言葉が出始める。これはちょっとリアリティが感じられなかったところだ。
ただルシエンヌの家のあたりにドイツ兵たちが侵略しに来た時ローリングスがいち早く助けに向かうのだけど、この救出劇はハラハラした。ルシエンヌは撃たれたけど、無事だった。いささか治りが早すぎるだろうとは思ったけれど、死ななくて何よりだった。

迫力ある飛行シーン

この映画の肝はなんといっても迫力ある飛行機の戦闘シーンだろう。回転して背後につかれないようにしたり、わざとスピードを落として相手の羽の上に乗って破壊するなど、多くの目を見張る場面があった。
またこの時飛行機が発射する銃弾の威力のすごさが生々しかった。あの銃弾の速さと重さの表現は、映像技術の進化のせいなのか昔の映画よりもリアルになっていて、毎回鳥肌がたってしまった。
特にキャシディが黒い鷹に撃たれてもただでは死なず、そのまま飛行船に突っ込んでいったところは見ごたえがあった。キャシディらしい死に方だったと思う。
ドイツの、黒い鷹や交差した剣のマークの撃墜王は実在したかどうかはわからないけど、一騎打ちをするような騎士道の持ち主のパイロットがいたのは確かだろう。
この第一次大戦中のフランスへ飛行気乗りとして志願した話を観ると、マンガ「キャンディ・キャンディ」のステアを思い出す人は多いと思う。彼もドイツ兵との一騎打ちの果てに玉詰まりを起こし、一騎打ちの相手はステアの実力を重んじ見逃したものの、ステアは別のドイツ兵に打ち落とされた。あの時代とこの映画の時代はまったく一緒だろう。
絵で見る世界と実写の世界がつながった時、それぞれの作品の世界さえも広がったような気がする。そういう意味ではこの映画を観てよかったと思えた。

ウィリアム・ジェンセンのリアルな存在

銃弾が首をかすったことで死への強烈な恐怖に飲み込まれた彼は、その後しばらく飛ぶことができなくなった。手の震えと恐怖を、お酒でごまかすしかない自分を恥じて許すことができず、一時この人は自殺するのではないかと思ったくらいだ。
彼の絶望感はなんとなく理解できる。ローリングスやビーグル、他のみんなも同じだけ死の近くにいるのに、自分だけ彼らと同じことができないふがいなさ、悔しさ、しかも酒に逃げている自分を、どれほど彼は責めただろう。ローリングスのような飛行技術とリーダーシップ、しかも恋愛さえするくらいの心の強さを持つ兵隊がいるのに、どうして自分はそうなれないのか、どれほど苦しんだのだろう。
特に自由主義のアメリカでは、必要以上に自分のことを責めるのではないだろうか。
誰もが苦しまずに恐れずに飛ぶのではないというリアルさを感じさせてくれたのが、彼の存在だったと思う。

いささか納得のいかないラスト

黒い鷹と激しい一騎打ちをした結果、ローリングスは肩を打ち抜かれる。前述したように、この映画の銃弾の重さは実感できるリアルさなので、たとえ肩でも致命傷のように思えた。黒い鷹もそうだったのだろう、だからこそ最後とどめを刺してやろうとしたのは、戦地ならでの思いやりなのだと思う。そんな黒い鷹に対して、いきなり横に並んで手持ちの銃で撃つと言うのはどうなのだろうか。もちろん自分が殺されそうになっている時に、相手の殺し方をどうこうするほど悠長なことは言ってられないとは思うが、それにしても、ここはやはり飛行機の機関銃で勝負して欲しかった。
ラスト、実在していた彼らのその後が映し出される。自分を責めて苦しんだジェンセンは意外にも終戦まで飛行気乗りとして戦ったところが、なんだかうれしかった。反面、ローリングスはこれを最後に、二度と飛ぶことはなかったという。それは黒い鷹に対する詫びなのだろうか。彼なりにあのドイツのパイロットを偲ぶことがあるのかもしれない。
この映画は戦争をきれいにデコレーションしたなという感じは否めないけど、実在の人々をモデルにした分、ところどころリアリティがあって最後まで見ることができた。
賛否両論ある映画かもしれないが、個人的には軽く楽しむことができてよかったと思っている。

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