テンポはよく主人公の葛藤も上手く描かれているものの、やや展開が強引すぎる印象 - 猿の惑星:創世記(ジェネシス)の感想

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テンポはよく主人公の葛藤も上手く描かれているものの、やや展開が強引すぎる印象

3.53.5
映像
4.0
脚本
3.0
キャスト
4.0
音楽
3.0
演出
4.0

目次

全くの新ストーリー

猿の惑星:創世記(ジェネシス)は1968年に公開された名作SF映画「猿の惑星」シリーズの新シリーズであり、ストーリーの上ではこれまでの猿の惑星シリーズとは無関係で、舞台を現代のサンフランシスコとし全くの新しいストーリーで描かれているのが特徴です。

オリジナルの猿の惑星はして宇宙飛行士が不時着した星は猿が支配する異界の惑星だった、そして映画の最後に実はそこが地球であったことを知るという、衝撃的な結末で話題になりましたが、
本作品では猿が知能を獲得し人間と対立するまでの過程を描いています。まさに創世記なのです。

小気味よいストーリー展開と人間ドラマを適度に織り込まれてるのが良い

映画は科学や医学が関係している難しい話でありながら、無駄なセリフやナレーションで説明するようなシーンがなくテンポよくストーリーが展開していくのでどんどん映画の世界に引き込まれていきます。しかもたった100分ちょっとの時間で、主人公ウィルとシーザーの交流、父親の病気の話、恋人との関係上など人間ドラマも適度に織り込まれていますし、主人公ウィルの科学者としての倫理と父親を助けたいという思いの中で葛藤する様が上手く描かれています。

アメリカ映画というと「主人公は絶対正しい」という前提の話が多いのですが、この映画は主人公が葛藤し恋人が苦言を呈し、最後まで「本当にこれで良いのか?」というテーマを投げかけています。ウィルが良かれと思ってしたことが予期せぬ形で猿の進化と人間との対立へと繋がっていく流れがすごくリアルです。

製薬会社で新薬を投与したチンパンジーが狂暴化して研究は中止に。ウィルは死んだチンパンジーが残した赤ん坊をこっそり家に連れて帰りシーザーと名付けて育てます。これが猿に進化に繋がる「最初の転機」です。ウイルがシーザーを連れ帰らなければこの話はここで終わりでした。

新薬の持ち出しが予期せぬ展開へと繋がる

ウィルの「父親を助けたい」「新薬を役立てたい」という思いは共感できますが、だからといって無断で薬を持ちだして父親に投与する、これって人体実験でしょ。チンパンジーの暴走で研究の中止を命じられていたのに、父親の症状に劇的な改善が見られたことを報告すると手の平を返したように、薬の開発を再開しようと言う上司。その段階になって「リスクがあるから」と反対するウィルは矛盾しています。あんただってリスクのある新薬の実験に父親を使ったじゃないかと。要するに主人公も上司も製薬会社も倫理観がどこか欠如してるわけですね。

それにしてもこんなに簡単に薬の持ち出しが出来ていいのか? ウィルが新薬を持ち出したことが猿の進化に繋がる「二つ目の転機」です。ウィルが引き取ったシーサーの知能の発達は目覚ましいものがあり、最後は言葉も話し人間並みになります。しかしシーザー一匹ではたいしたことはできなかったわけで、ウィルが新薬を家に持ち帰らなければ猿の反乱は防げたでしょう。人類の危機がこんな初歩的なルール違反から始まるとは・・。

人間への不信感を募らせるシーザー

シーザーがウィルに引き取られて5年後、ウィルの父親が隣人とトラブルを起し、助けようとしたシーザーが隣人に怪我を負わせてしまい霊長類保護施設に収容されます。これが「三つ目の転機」です。

ウィルの父親を助けるがためとはいえ人間を傷つけたわけですから、社会の対応としてこれは仕方ないでしょう。日本だったら殺処分されていた可能性が高いわけで、知能の高いシーザーにはご不満とはいえ、ちゃんとした設備の整った施設に入れて貰えるだけ恵まれています。

そこで飼育員に陰湿な虐待をされたことでシーザーは人間に対する不信感を募らせていきます。確かにシーザーが人間に失望していき、賄賂を払ってでも救い出そうとしたウィルをも拒絶する心理状態には共感できるものがあります。自分だけ自由になっても根本的な解決にはならないですからね。知能の高いシーザーにとっては辛い環境であることは間違いないですし、飼育員の態度も酷いものがあります。

しかし、このことだけで人間全てとの対決まで決意するに至る動機とするのは弱い気がします。恨む相手に報復し脱走して自由を手にすればいいだけでしょう。刑務所に服役している多く野囚人が考えていることと同じです。

ここはもっとステップを踏んだほうがリアルに描けたのではと思います。最初は自由になりたかっただけなのに、人間にそれを認めて貰えず一方的に追い回され悪者扱いされる、高い知能を駆使して人間との対立を回避しようとするが、自分たちを徹底的に管理したい人間によって追い込まれていく、どうしようもなくなって人間との全面対決を決意するという流れなら納得できたのですが。

明かな悪者は登場しない映画

この映画の特徴のひとつが登場人物に絶対的な悪人が居ないということです。アメリカ映画と言うと「主人公が絶対的に正しい」という前提に立ち、分かりやすく悪役を登場させた勧善懲悪的な映画が多いように思いますが、この映画には明確な悪人は出てきません。

主人公の上司にしても会社の利益のために動いてるだけですし、飼育員にしても陰湿ですがやったことはいじめ程度です。シーザーも自分を虐待していた飼育員こそ報復して殺したものの、もう一人のおとなしそうな飼育員には危害を加えませんでしたし、他の猿が人間への暴力を加えようとするのを静止するシーンもありました。

明かな悪者は居ないし、みんな良かれと思って行動した。だからこそ猿と人間の対立を回避できなかったことへのもどかしさみたいを上手く描くことが出来たように思います。

猿の独立、ウィルスの蔓延、そして続編へ

確かにウィルは新薬を無断で持ち出すというやってはいけないことをしました。会社の管理体制もなっていません、新薬で体調を崩した同僚が自由に出歩いてウィルスもまき散らすというのは全くありえないですね。しかし、だからといってこれが猿が人間に取って代わる最初の1ページになるというのがちょっと納得いきません。

映画は猿が人間から独立を勝ち取るところで終わっています。続編ではウィルの同僚がまき散らしたウィルスが世界中に拡散して人類の9割が死滅するに至ります。でもこれってちょっと強引すぎるでしょ。

人類の歴史において疫病が大流行して多くの犠牲者を出した出来事はいくつかありました。古くは中世ヨーロッパのペスト、20世紀に入ってからは1918~1919年の香港風邪(インフルエンザ)では世界中で6億人が感染し2300万人が死亡しました。この映画のように高い確率で死に至る感染症も世の中に存在します。前述のペストの死亡率は50~70%、コレラの死亡率は75~80%で19世紀後半のイギリスで大流行したことで知られています。エボラ出血熱の死亡率は50~90%で有効な治療法が今も見つかっていません。しかし、それでも人類の大半が死亡するような事態には至っていないのです。いくら飛行機などの移動手段が発達し感染が拡大しやすくなったとはいえちょっと納得いきませんね。

まあいずれにしても猿の台頭は防げないというお話ですが、やはりもっと時間が必要なのでは?というのが率直な感想ですね、この映画は何もかも展開が早すぎる。映画は続編があることを前提にした終わり方なので、続編の「猿の惑星:新世紀」も合わせてみたいです。

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