ガンダム以前にも「戦争」「人間ドラマ」を書ききったロボットアニメはあった! - 闘将ダイモスの感想

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闘将ダイモス

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映像
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ストーリー
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キャラクター
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声優
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音楽
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ガンダム以前にも「戦争」「人間ドラマ」を書ききったロボットアニメはあった!

4.04.0
映像
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ストーリー
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キャラクター
4.0
声優
3.0
音楽
5.0

目次

長浜ロマンロボットシリーズの終焉、そして生まれるガンダム

本作は1978年、長浜忠夫監督のロマンロボットシリーズの3作目として放送された。ロマンロボットと言えば「超電磁ロボコンバトラーV」、「超電磁マシーンボルテスV」と本作だ。正直なところ当時少年だった人が現在でも最も覚えているのは「コンバトラー」の「超電磁ヨーヨー」「超電磁コマ」などの奇抜な武器だろう。この発想と合体メカのかっこよさで「コンバトラー」は人気を博した。その後も最もゲームに登場しパチンコ台になったりしているのもやはり「コンバトラー」だ。美形悪役という地位を確立した敵将ガルーダも印象深い。次作「ボルテス」は「コンバトラー」よりドラマ性を重視し、玩具の売り上げは下回ったもののて一定の評価を得た。

3作目として長浜監督は更にドラマ性をアップする道を選んだ。しかもそのテーマに「男女愛」を据えた。正直この選択は視聴率、おもちゃの売り上げにとってマイナスとなり、本作は打ち切りの道をたどってしまう。

そしてこの翌年、その後のアニメ界を背負って立つ普及の名作「機動戦士ガンダム」が開始される。本作が放送されたのはまさにそのような時期であった。 

ある程度シリーズ化するとなぜ製作者は地味な方向に走るのか?

本作に限らず、ある程度のヒットを飛ばしてシリーズ化したコンテンツはどこかで「地味な作品」を生み出す。ウルトラシリーズのレオ、仮面ライダーで言えばアマゾンあたりがそれだ。不思議とそれらに共通するのは「飛び道具より肉弾戦」「華やかさより地道さ」だ。

本作は「コンバトラー」のような奇抜な武器は無いばかりでなく主人公が空手家であり蹴りや突きを武器として戦う。この選択をした時点で確実に商品は売り上げは下がる、と思いそうなのだが何故か製作者はここに行きつく。しかもそれは戦闘方法のみではない。ダイモスは合体もしない。勧善懲悪のカタルシスも排除している。毎回戦いはあるが、単純に悪の組織や侵略者と戦うのではない。バーム星人の中にも虐げられた人々がいて、それぞれに平和を求めるも種族の壁をなかなか越えられず共闘できない、など複雑かつ重い話が多い。

そして最も大きな要素は「男女愛」だ。おもちゃメーカーがスポンサーであるこの手の作品のターゲットは基本的に小中学生だ。その少年達にとって「男女愛」というのは正直「恥ずかしい要素」でしかない。当然おもちゃが売れる以前に番組を見なくなる。正直なところ私自身もそうだった。番組開始時点でこれは考えないのだろうか?少なくとも経済至上主義の現在、こういう地味一点張りの作品を子供向けに放送するなどありえないことだと思う。

これは予想でしかないが、シリーズの何作目かでこのような地味要素に走ってしまうのは以下の2つの原因ではないだろうか?

  1. 派手方向に突き進んだ場合、作品性やリアルさを失ってしまうことを作家が本能的に回避する
  2. 単純にネタが尽きた

本作は視聴率低下と玩具販売の不振に業を煮やしたスポンサーが途中でヒロイン:エリカを殺して恋愛色を捨て単純戦闘路線に切り替えろと指示したにもかかわらず、長浜氏がそれを拒否して作品性を守ったという逸話がある。

そのような背景からして上記のような消極的理由ではなく純粋にドラマ性で勝負したいという作家性の発露であったと信じる。

そのような心意気を再確認しつつ数十年ぶりに見直してみて、こんな面白い話だったのか、と驚いてしまった。

ガンダム以前のロボットアニメに対して、玩具宣伝番組として単調な勧善懲悪を繰り返しているというイメージを持っていたがそれが悪しき固定観念だったと痛感した。具体的にこの作品のなにがいいか、事項で語る。

ヒロインエリカが美しく、慎ましく、けなげ。誉め言葉は∞

この作品の魅力はヒロインであるエリカに尽きる。主人公が敵国のお姫様と恋に落ちるという古典的設定で当然二人の関係は引き裂かれ、つらい展開が続く。近年の作品なら萌え要素とかラブコメ要素とか入れて重くならないようにするだろう。また水着なり入浴シーンなり多少のサービスショットもあるかもしれない。しかしこの時期のアニメにはそういう慣例はない。彼女はひたすら苦労し、ひたむきに主人公の事を思い、ひたすら平和を願う。この当時男子向け作品の多かった、人格のない添え物のようなヒロインではない。とことん悩み、命を懸けて行動し、一矢への愛と祖国の民衆を救うため積極的に戦いのない世界を目指す。後のガンダムシリーズでも戦争のない社会を唱えるヒロインは登場するが実際に命を懸けて活動する例は少ない。その書きぶりはもはや宗教的ですらある。実際、彼女が翼を広げて空を舞うシーンは宗教画のようでもあり、西洋の女神的存在を意識した演出もあったかもしれない。そしてすれ違い続けた二人がようやく再び出会うのは最終回、この大変な道のりを小中学生が我慢できるはずもない。

視聴率が低迷して玩具が売れないのは当然のことである。実際私自身も少年時代には途中で脱落してしまった。雪が舞う極寒の地でさすらうエリカの姿がトラウマですらあった。しかし数十年たって見直してみると、ファーストガンダムよりドラマ性は高いのではないか、と思えた。今だったら無理に子供向け要素を入れてちぐはぐな演出をする必要もないのでもっと大人向けに作れたかもしれない。そういう意味では世に出るのが早すぎたため日の目を浴びなかった隠れた名作と呼んで差支えないだろう。 

「戦争」という言葉が飛び交い、大人の事情が交錯する。見ごたえあるドラマ

子供に受けなかったもう一つの理由が政治性だろう。「戦争」という言葉がしばしば使われるし、バーム星人にも奴隷として蹂躙される人々がいたりと人種問題っぽい表現も多い。そして主人公たちがバーム星人の全てが悪い訳ではないと知ってしだいに戦わない道を模索しだす一方、地球人サイドには和平派のバーム星人までも皆殺しにしようとする強硬派もいる。「正義と悪の闘い」「地球人は穏健」といったそれまでの概念は完全に取り払われている。繰り返すが本作はガンダム放送以前の作品だ。戦争、人種の壁、偏見などの扱いはガンダムやイデオンよりもストレートで問題提起も明確、この時代にこんな作品があったのだ、と感心する。ガンダムの富野氏はこの作品を含めて長浜氏から監督業を教わった、と記述していることを思うと本作の存在がガンダム生み出す基盤になった、と言っても過言ではないかもしれない。

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