どん底の私を救った漫画 - パパと踊ろうの感想

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パパと踊ろう

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画力
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ストーリー
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どん底の私を救った漫画

5.05.0
画力
4.0
ストーリー
5.0
キャラクター
5.0
設定
5.0
演出
5.0

目次

悲しみを吹き飛ばす究極の笑い

自分で言うのもなんですが、子どものころから前向きで明るく、葬式でなぜか笑いが込み上げるタイプの人間として、私はスクスク育ちました。そんな私もいつしか大人になり、女となり、人並み恋をして、ついには結婚を考えるほどの運命の相手とも思える男性と出会って、幸せな日々を過ごしておりました。このまま誠実な彼と、温かくほのぼのとした穏やかな家庭を築いていきたい、そう心から願っていました。

しかしある日、彼は誠実さのあまり「まだ結婚したくない!でも大切な君をずっと待たせるわけにはいかない!」と突然、私の前から去って行きました。

彼を失ったことで、私は生まれて初めてと言えるくらい、人生のドン底の底の底まで精神的に落ちていきました。人間ここまで落ちるのかというくらい感情が真っ暗闇で、全く笑うことが出来なくなってしまったのです。テレビを見ても、買い物していても、電車に乗っても、何をしていても涙がポロポロ零れ、心が喪失感に押しつぶされてしまうのでした。

そんなある日の朝、歯の痛みで目覚めた私は、仕方なく何年振りかの歯医者へと行きました。泣きっ面にハチとはこのことかと、ため息をつきながらも受付を済まし、暇つぶしにと待合室にある本棚からふと手に取った漫画が『パパと踊ろう』でした。

それからの歯医者での記憶は、ほとんどありません。おそらく私は一人、歯医者の待合室で笑いを必死に堪えながら鼻をフガフガいわせていたのだと思います。先生に「すいぶん楽しそうだねぇ。若いっていいねぇ!」と言われたような、言われなかったような、そんな記憶がうっすらと残っています。とにかく気付いた時には、手に数冊の『パパと踊ろう』を抱えてニヤニヤしながら、私は本屋のレジに立っていました。

下品でクダラナイ。なのに究極にハートフル

天地家は、父と息子と娘の、3人家族の父子家庭。いじられキャラの気の弱い小学一年の息子ヨシハルに、5才児ながらにエロスな毒の強すぎるおませな娘フッコ。そしてエログロ破天荒な父シゲル。この三人が毎度毎度巻き起こす騒動は、時として非道でありながらも、とにかく笑ってしまいます。

ある時などは、フッコは自分が口笛を吹くとヘビが集まることに気付き、そのことに興味を示した父シゲルが、試しにフッコに口笛を吹かせようとするも、「ヘビを口笛で呼ぶだけよんで、何もなかったら申し訳ない」と、突然ヨシハルを柱にくくり付け生贄にします。有無も言わさず柱にロープでぶら下げられたヨシハルが、仕方なく死を覚悟して「人生の最後にプリンが食べたい」と父に懇願すると、父はその願いを叶えるためプリンを用意して食べさせるも、「プリンと見せかけて茶碗蒸しでしたぁ~!」とドッキリカメラのプラカードを持って登場し、フッコとゲラゲラ笑い合うのです。もちろん愕然とするヨシハル。そして最終的にはなぜか金粉を塗られ、ピカピカの銅像のようにされても、それを甘んじて受け止めるのです。

いや本当に、今こうやって漫画の内容を文字にしてみても、実にクダラナイ。本当に心からクダラナイ漫画なのです。だけど笑っちゃう。どんなに悲しみにくれていても、ついつい笑っちゃう漫画なのです。

 この漫画の内容の全てが、確実にブレることなくどこまでもクダラナイのですが、私がなぜこの漫画に惹かれるのか、その理由を考えました。

その答えはおそらく、様々なエピソードの中でこの三人の家族それぞれに、リアルな人間性が垣間見れるところなんだと思いました。

別れた女房の仕送りで平気でメチャクチャ気ままに暮らす父親は、人として最低ランクの人間なのですが、“父親である”という自分の立場を決して忘れてはいないのです。やることなすことハチャメチャなのに、それは全て父として考えた上での行動なのです。

例えばヨシハルに「父さんは最低人間だ。もうイヤだ」と書かれたメモを渡される場面があるのですが、そんな風にすっかり心を閉ざしてしまった子どもたちを、父は躍起になってもう一度自分に振り向かせようとします。けれどそのやり方も最低で、目の前で高級ステーキを旨そうに食べて半分残して目の前でちらつかせるとか、呪いの日本人形で子どもたちの周りを取り囲んで怖がらせるなど、とにかくどこまでも下品で最低なのです。

けれど、そんな親としてあり得ない行動してしまうまでにシゲルを奮い立たせる感情の根っこは、むしろ一家の主としての立場を守ろうとするあまりの結果なのです。

シゲルは決して、ヨシハルとフッコの父であるという自分を放棄しません。キレイなオネエちゃんがいればケツを追っかけまわし、いかにラクして暮らすかしか考えていない人間であるにも関わらず、絶対に家族を捨てない。そんなシゲルに地味に感動してしまいます。

そしてヨシハルといえば、そんな最低な父に呆れながらも、どこかその不器用さを理解し、むしろ一周回って父を尊敬している感もちらほらと滲み出る場面も多々あるのです。

三人が、本屋で『馬鹿テンサイボン』全100巻を立ち読みで読破するために、父の作戦を元に本屋の店長と戦うシーンでの、ヨシハルの姿は圧巻です。父としてシゲルを信頼し尊敬していなければ、あのようにシゲルの指令に的確に動くことはできません。

フッコはフッコで、このように全く頼りにならない最低な父親と気が弱く情けない兄と共に暮らしているというのに、何の不安も不満も疑問も持たず、二人に温かく守られ安心しきっているかのようにのびのびとマイペースに生きています。毎度の如く周りの人間を巻き込んでハプニングを起こす父のクダラナイ提案に、フッコは大喜びして迷いなく賛同し、結果的に訪れる悲惨ともいえる悲劇をこれまた大喜びで面白がって、そしてまた父によって巻き起こる次のハプニングをワクワクして待っているのです。

このように、メチャクチャでありながらも結束力の強い家族、時に命の危機にまで晒されながらも、笑いの絶えない明るい家族。これは間違いなく『サザエさん』と甲乙つけがたいほどのハートフルコメディー漫画といっても過言ではないのではないでしょうか。

『パパと踊ろう』は私の人生のバイブル

この『パパと踊ろう』に救われた人類は、私だけではないような気がしてなりません。少なくとも私は、ストレスでうつ状態になりかけている友人、失恋して立ち直ることが出来ないでいる知人などには、迷いなくこの漫画を読むことを奨めています。その後、彼らがこの漫画のおかげで救われたのかどうかまでは確認していませんが、どの人もちゃんと今も元気に生き続けています。

この漫画に出会ったのは約20年ほど前ですが、今も私の本棚には『パパと踊ろう』がズラリと並べられています。

こんな私にも、実は息子が二人います。天地家の父・シゲルは、若干ですが私自身、子どもにとっての理想の親の姿として、参考にさせていただいております。シゲルのように、時に子どもと同じ目線で、子どもと一緒にちょっとした悪ふざけをしたり、調子にのって失敗したりする姿を包み隠さず見せることで、大人だってバカなんだよ、大人だって楽しいこと大好きなんだよ、ということを身をもって教えていきたいなと思っています。

そして息子たちが大人になって、人生で経験したことのないような苦しい思いや、悲しみに襲われた時には、彼らのそばにそっと、この『パパと踊ろう』を数冊差し出してあげようと思います。

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