大人と子供のすれ違い・歩み寄り - こどものじかん-2学期 OVAの感想

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こどものじかん-2学期 OVA

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大人と子供のすれ違い・歩み寄り

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映像
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ストーリー
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キャラクター
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声優
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音楽
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目次

運動会における考察

任せられると張り切ってしまう子供心が、分かりやすく描かれていたのではないでしょうか。そして、張り切って頑張る子供たちに触発されて頑張る大人たちの姿も理解できる心境だといえます。多くの大人も、幼少期を振り返れば、共感できる内容なのだと考えられます。

この場面では、子供と大人の相乗効果を描いていると考えらるのです。

やはり、子供なので無理をすると、脆い面があるのも仕方ないと思うのです。しかし、任せられていることが引っ掛かり、素直に弱音を吐くこともできず、限界まで頑張ってしまう心理も理解できます。

考えてみると、そんな大人と子供のすれ違いが描きたかったところだったのではないでしょうか。

本作の主人公リンが観ていて心配になってしまうことで、本編に引き込まれてしまいます。特に、運動会の場面では、ハラハラさせられることは多かったです。

リンがそんな状況なのに、それに気付けない担任の青木先生には、大人としてイライラしてしまいます。

しかし、立場の違いから、どうしてもお互いの目線が違い、気付けなくてはいけないことに気付けないのが悲しいです。ただ、現実社会においても、こういったケースは多いのではないでしょうか。

先生と生徒という関係だけではなくても、親と子という図式でも置き換えることができると考えられます。現実社会における、それぞれの視聴者の立場に合わせて、状況を置き換えてみると、自分自身もこういう状況で、気付いてあげられる自信はありません。親という目線で考えたとき、自分自身の行動や発言を振り返ってしまいます。

そして、それこそが原作者や制作スタッフの狙いだと考えることができます。

「どこまで自分自身の子供のことを見ていますか?」、そんな問いかけのメッセージ性が込められた場面なのではないでしょうか。

そして、リンの父親に関しても、仕事で忙しく運動会に参加することができませんでした。小さな子供ではありませんので、一定の理解はできるのだと考えられます。そして、親自身も運動会に参加して、子供の活躍を見たかったことでしょう。ここの部分でも、やはり先生と子供と同じように、父親と子供のすれ違いを描いてるのだと考えられるのです。

たとえ仕事がどんなに忙しくても、親であれば子供を優先してあげたいです。親という目線で観たとき、本編のリンと父親が、あまりにも気の毒で印象に残るように描かれているのです。

また、父親に気を遣い、平気な振りをしている子供の姿も本編の中で強調されている部分だと考えられます。

きっと、視聴者にもそう感じてほしくて、意図的にこういった描き方がされていたのだと考えられるのです。

すれ違う大人と子供の考察 

子供に何かを任せる時、大人としては心配が付き纏います。そして、任された方も心配されていることには気付き、それが不満になってしまいます。

ここでも描かれているのは、やはり大人と子供のすれ違いだと考えられるのです。

そして、原作者が作品を通して描きたいことは、大人と子供のすれ違いなのだろうと考えられます。ギャグ路線を打ち出しているように見えて、そういった寂しさや悲しさを織り交ぜて描かれています。

笑わせる場面が多い中、悲しい場面があることで、悲しい場面が一層に強調されるのだと考えられます。原作者の明確なメッセージ性が伺える場面なのではないでしょうか。

しかし、ただ大人と子供のすれ違いのみを描いているのでもないと考えられます。

すれ違いを描いているのみで本編を構成していたら、視聴者の印象として残るのは、悲しさや寂しさという負の感情しかありません。しかし、それぞれの話でそんな印象が残るでしょうか。

「起承転結」で本編を分解するなら、すれ違いを描く部分は「転」だと考えられます。

すなわち、「結」の部分に違うメッセージ性を込められているとも考えられるのです。

「結」の展開について、アニメ本編を深く探って考えてみると、それは、お互いがすれ違いながらも、歩み寄って理解しようとする姿勢ではないでしょうか。

そして、大人と子供という構図じゃなくても、人間とはすれ違うものだと考えられるのです。

逆説的に考えると、違う人間同士で理解しあえる関係性というのは稀なのではないでしょうか。職場の人間関係や仕事の取引先、プライベートでいえば、知り合いや友人、親友、恋人、夫婦など、大人同士の人間関係においても、現実社会ですれ違う場面は多いのではないでしょうか。

しかし、お互いに歩み寄ろうとする気持ちや姿勢、行動が大事なのだと考えられます。

アニメ本編では、大人と子供という関係性で描かれていますが、現実社会の色々な人間関係に置き換えて考えることができます。そして、込められたメッセージ性が実現されれば、争いごとや喧嘩、衝突・摩擦は無くなるのかもしれません。

ワンパターン!?

青木先生とリンによるエピソードだけではなく、クロと白井先生(シロ)に焦点が当たった話も印象が強いです。

ここでも、大人と子供のすれ違いが描かれており、「起承転結」で表すなら「転」に該当するのではないでしょうか。また、「結」の部分には、お互いが歩み寄る姿勢・行動が描かれており、原作者や制作スタッフのメッセージ性を実証していると考えられます。

また、それと同時に、物語がワンパターンの構成であることも物語っています。

これは意図的に、ワンパターンで構成されているのか、それとも、結果的にワンパターンになってしまっているのか、どちらなのでしょうか。本当のところは、原作者や制作スタッフの方にしか分からないことです。

しかし、考えてみると、ワンパターンで構成されているからこそ分かりやすいです。そして、メッセージ性においても、ワンパターンの構成を繰り返していることで刷り込まれ、強調することにもなると考えられるのです。

以上のことから考えるに、意図的に、ワンパターン構成の話にしているのだと考えるのが自然ではないでしょうか。作品のメッセージ性を強調する為に、意図的に、ワンパターンな構成を展開されていると考えられるのです。

リンの恋心を考察

父親の仕事に一定の理解をしつつ、素直な感情が出せないのが主人公のリンです。

青木先生に対するリンの恋心は、父親で満たされない愛情を埋めようとしているようにも考えられないでしょうか。リンは父親には可愛がられており、リンにとって、父親は憎い対象ではないでしょう。しかし、仕事が多忙過ぎて埋められない寂しさは感じていると考えられるのです。

やはり、それがリンの本音なのではないでしょうか。

そして、父親も転職でもしないと現状を変えることはできないと考えられます。しかし、リンの父親にそんなことを考えている様子はありません。

リンにとって、青木先生のことを考えているとき、接しているとき、それは父親に甘えている気持ちに似ているのかもしれません。むしろ、そう考えた方が、リンの青木先生に対する恋心を説明するとき、必然性があると考えられるのです。

また、青木先生とリンの父親の対立構造も、遠い実父と、近い仮想父親のもののように考えられます。

これは、私の個人的な見解であり、事実は違うのかもしれません。しかし、リンと父親、青木先生の関係性を考えたとき、そう考えた方が自然だと考えられないでしょうか。

皆さんは、どう感じ、どのように考えられますでしょうか?

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