ドラゴンボールとしては珍しい展開
タイムスリップについての考察
「ドラゴンボール」の世界観は、死んだ人間が生き返ったり、死後の世界が描かれている等、とにかくユニークなものといえます。しかし、これまで、どれだけユニークな世界観であっても、アニメ本編では一度きりで描かれていた展開があります。
それは、悟空の父親であるバーダックが、本人の意図しないかたちでタイムスリップをしているということです。
ここで注目すべきは、タイムスリップという要素です。
「ドラゴンボール」の物語本編の中、タイムスリップが描かれていたのは、未来からやってきたトランクスの存在です。長い「ドラゴンボール」の物語の中で、「人造人間編」として分類されているパートがありました。その冒頭場面で、未来からタイムマシンでトランクスがやってくるという展開がありました。いくら自由な世界観であるドラゴンボールにおいても、タイムスリップというものが描かれていたのは、その一度きりなのです。
人が生き返ること、瞬間移動(ワープ?)という設定は、自由に描いていても、時間という枠組みだけは大切にされているのが「ドラゴンボール」という作品なのです。
フリーザに、惑星ベジータごと消し飛ばされてしまったエピソードが過去に描かれていました。そして、その続編として制作されたのが、当アニメ作品「ドラゴンボール エピソード オブ バーダック」です。
最新のアニメ技術で制作されているので、作画はとても綺麗です。しかし、画風そのものは、ナメック星でのドラゴンボール争奪編が描かれていた印象のままです。綺麗であり、その上で、懐かしい映像を楽しむことができました。
また、フリーザの父親であるコルド大王の幼少期が描かれていたことも印象的です。
コルドと聞いて、フリーザと同じ一族であるとは想像できました。しかし、フリーザの父親であったことを思い出すのに時間を要しました。それだけ、「ドラゴンボール」の本編では印象の薄いキャラクターだったのではないでしょうか。
そして、バーダックという人物に焦点を当てて考えてみます。
一度は死んだように描かれていたのを、生きていたように物語を考えるのであれば、タイムスリップさせることしかなかったように思えます。そして、タイムスリップをさせてまで、バーダックというキャラクターを描きたかったと言い換えることができます。とてもバーダックという人物にこだわって、アニメ制作されていることが伺えます。
バーダックの内面を分析
やはり外見における印象では、バーダックは悟空の存在と重なってしまいます。
悟空の兄であったラディッツは純粋なサイヤ人だった為、悟空とは違い、残忍な性格のキャラクターでした。そして、当作品の主人公のバーダックも、ラディッツ寄りの性格だったように思えます。
ただ、表面上はラディッツであり、人物像としての根本部分は悟空だったようにも感じられます。
そうでなければ、スーパーサイヤ人に目覚めることはできなかったことでしょう。
それでは、バーダックの存在をラディッツに置き換えた時、ラディッツはスーパーサイヤ人になれたでしょうか。きっと、スーパーサイヤ人にはなることもできず、コルドに瞬殺されてしまったように思えます。ひょっとしたら、態度を急変させ、コルドに寝返っていたのかもしれません。ラディッツという人物に置き換え、物語の成り行きを想像すると、そんな展開を思い浮かべてしまいます。
自分のことを助けてくれた存在を、蔑ろにされた時、「怒り」という感情をもつことができるバーダックは、どこか残酷無情で戦闘民族のサイヤ人っぽくない人物像なのだと思います。すなわち、悟空の存在を思い浮かべてしまうのです。
そして、悟空の存在を思い浮かべさせる「優しさ」が、父親のバーダックにあるから、「怒り」という感情に結びつき、スーパーサイヤ人に目覚めることができたのだと考えられます。
バーダックにおいて、声優は、悟空と同じく野沢雅子さんが担当されました。
アニメ「ドラゴンボール」において、悟空の一族は、野沢雅子さんが声優をされています。そのかたちを崩すことなく、引き継いだものだと思います。しかし、野沢雅子さんが担当した「ドラゴンボール」の登場人物の中で、もっとも口調の悪いキャラクターなのではないでしょうか。
野沢雅子さんの声で「ブッ殺すぞ」という言葉を聞いたとき、とても違和感がありました。
そして、野沢雅子さんも、明らかに言い慣れていないように感じられました。
物語結末における想像
時間の枠を超えている時点で、「ドラゴンボール」として、本筋の物語と受け止めてはいけないのかもしれません。
しかし、「ドラゴンボール」の本筋ストーリーとの整合性を考えていきたいと思います。
まずは、幼少のコルドですが、後に、フリーザやクーラという子供が、大きな存在として登場します。コルドはここでは死んではいけないキャラクターなのです。しかし、当作品の結末では、コルドが死んでしまったかのような描写がされていました。生命維持装置が「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ…ピーーー」と鳴り響いたのは、コルドの死とも受け取れますし、話をするために生命維持装置を一時的に外しただけだとも受け取れます。
しかし、後の展開を考えるなら、コルドは死んでいないと受け止めるべきでしょう。
また、バーダックが惑星ベジータとなる星に残ったことで、バーダック自身もサイヤ人という存在の祖先となったと考えられます。
しかし、バーダックひとりでは子孫を残すことができません。きっと、他星から侵略しようと襲来したサイヤ人たちと合流したのではないでしょうか。ひょっとしたらサイヤ人という存在が、バーダックが他星の人種と交わることで生まれた混血種と捉えることもできます。地球人とサイヤ人が交われたように、サイヤ人と交われる他星人の存在があっても不思議ではないように思います。
物語の結末は色々なことを想像してしまい、「ドラゴンボール」の本筋ストーリーとの整合性を考えてしまうものでした。
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