日常に埋もれていた不条理の数々
いつもの道を歩いていたら、違う世界に行っていた。
ここは日本。見慣れた景色。でも異次元。
思わず「そこ!?」と問いたくなってしまう着眼点が生み出す、普段感じられない種類の楽しさがそこにはある。
見過ごしてしまう日常の、重箱の隅のさらに奥の継ぎ目のあたり
我々が日常と呼んでいるものが構成する地平に、作者はメスを入れる。
その地平は、ある時は「集団」という語であり、またある時は定食屋のおすすめメニューである。
その見慣れた光景がひび割れ、断層になり、そしてできた隙間に作者の世界観が容赦なく入り込んでくる。
ひび割れて沈降した日常にそうでない未知がのしかかる。
その沈降こそ「日本、ちょっと沈没」であり、それを受け入れざるを得ないその場限りの登場人物たち。
ちょっと沈没した日本で、主婦は今日も変わらず買い物に行き、子供は、老人は。
ちょっと沈没した日本で、ちゃぶ台を囲む家族は。
作者の視点は、時に辛辣で、時に微笑ましい。
本当にどうでもいい些細なところに、異次元は入り込んでいる
トマトの若い実に四角い箱をつけて育てると、四角い実のトマトができるという。そこである業界がある商品を作った。
作者の担当編集者は、どうもアリクイであるらしい。
桃太郎のお供をしていた動物たちには、ある事実があった。
誰もが気づかずに見過ごしてしまうところに反応する作者のアンテナは髪の毛よりも細い。そして拾った情報を笑いへと昇華させていく。
そんな鋭さと相反するように、やる気があるのかないのかわからないゆるい画風がますます読者を心地よい混乱へと導く。
「ジャンプ」誌上において、90年代のギャグに新しい価値観を勝手に読者に突き付け、ひとり独自の路線を走り強烈な存在感を放っていった本作品、時が経っても異彩は色褪せない。
ところで、携帯電話やインターネットが普及するずっと以前に世に出た本作品中に、興味深い描写がある。
「どんどん便利になっていく世の中、これからはもっと色々なことができるようになるのだろう」と作者は未来を眺める。
モデルが微笑む「医療ファッション雑誌」には『この夏は、自分で自分を手術する』という特集が組まれる時代。
この作品が発表された当時も、通販や通信教育、文通などはあった。
しかし「そのうち『通信恋人』なんてのも出てくるのかもしれない」という描写は、当時でこそギャグになりえたが、現代に生きる私達にはそれが本当に身近なものとなってしまった。
顔も知らない相手と恋に落ち、文字でやり取りしていく。雇われのゴーストライター。
ゆるい笑いの合間に、作者は20数年後の未来を予見していた。それが当時の作者の本心ではなかったとしても。
現代の私たちは、当時の笑いによって、ふと現実へと揺り戻されるという特典付きで本作品を読むことができる。
日常に疲れた時に手に取ると、様々な快楽物質が脳内を駆け巡る。
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