女優・菅野美穂の演技力が世に弾けた逸品
見どころ・話題性が満載のドラマ
当時、「悪女」とか「魔性の女」などのイメージがあった
葉月里緒奈さんが気の弱いイジメられる役、
逆に清純派のイメージがあった管野美穂さんが壮絶な悪役、
更にはスリム美女の葉月さんが特殊メイクで巨漢の役をやる・・・
など、何かと話題満載のドラマ。
それだけで興味がそそられた人も多かったのでは。
特殊メイクに関しては、
当時、「技術も進んだんだなあ!!」と
昭和生まれの私としては、
とても感心して観たのを覚えている。
まるで違和感ない仕上がりだったのだ。
そして、言われなければ
葉月さんだとは分からないくらい
人相が別人で、
話のスジとは関係なく楽しめて、
そんなところもエンターテイメント性は
成功してたんじゃないかな。
イメージを逆転させたキャスティングも
予想を超えて成功したんではないかと思われる。
管野美穂の名演技に唸る
もうこの作品を語るには
管野美穂という存在は欠かせないだろう。
この役で一躍演技派女優の仲間入りを
果たしたといっても いいのではないかな。
初めて(といっていいのかな?)の悪役が
あまりのド・ハマリで
完全に主役を喰ってた。
というか、全出演陣を喰ってたのでは。
私はこの作品で初めて、彼女のファンになった。
強烈に印象に残っているシーンとセリフがある。
私は個人的に、ファンになる俳優さんたちって
何かドラマの中でハッと印象に残る
セリフの言い回しとか演技があるのだけど
管野さんは、まさにこの作品のこのシーン。
「他人なんてどうでもいい!
大事なのは自分なの!
人が生きようが死のうが
どんな思いをしようが
あたしには関係ないわ!」
特にこの、
「他人なんてどう~~~でもいい!!」
って、吐き捨てる一言。
この一言の演技に、ズキューーーーーン!!!
とハートを射抜かれてしまった。
その、役のリアリティの凄味、というのか・・・。
そのニュアンスでセリフを言う人を初めて観た、
という印象で、
とにかく強烈なインパクトで記憶に刻まれたのだ。
悪役「倉田雪乃」演じる彼女の演技は
それまでの悪役系の演技とはどこか違って新鮮だと
感じていたのだけど
多分それは、なんていうのかな、
いわゆる「演技」ってことを感じさせない
自然な言い回し、抑揚によって、
不思議に感情移入させられる・・・というか
「倉田雪乃」の気持ちが、心情が、すごくよく分かる、というか・・・
そんなところが個性的で新鮮だったように思う。
また、悪役といっても
「そうはいっても、フツーそんな人、いないでしょ(笑)」
と言いたくなるような、
「ストーリーの中の悪役」ではなく、むしろ
私たちの私生活の中にどこにでもありうるような
愛に飢えた等身大のひとりの女性のありようを
リアルに感じさせる演技だったからだろう。
愛に飢えた悪役はいろんなタイプがあるけれど
「倉田雪乃」は「感情型」といえるのかな。
喜怒哀楽や個性が、「感情」というフィルターで顕れる。
歪んだ愛のカタチが、感情の爆発をともなって、
相手を傷つけ、自分を傷つけ、
そしてそんな自分自身に傷み、傷ついている。
彼女の心が血を流しながら泣いている様が、
新鮮なみずみずしさで、画面から伝わってくる。
この作品以降、悪役が増えたよね。
・ギルティ~悪魔と契約した女~(主演・野上芽衣子役)
・蜜の味(主演・原田彩役)
・里見八犬伝(玉梓役)
などなど・・
いろんな役をこなす彼女だけど
彼女の悪役はどれもみんな
観てて気持ちイイ。
彼女が演じる「悪役」は
「悪は憎むものじゃない」
「悪を憎まなくてもいいのだ」
と、自然に感じさせてくれる何かが
たぶん、きっと、あるのだと思う。
倉田雪乃と井上彩子が示してくれたこと
2016年の現在なら、時代の流れとして
「集団」ではなく「個」を生きる時代へと変化して きていて
「いかに自分らしく生きるか」
「いかに本当の自分を見出していくか」
という在り方・生き方に
世の中全体がシフトしているように思うけれど、
放映当時の1999年は、まだまだ、
集団意識、集合意識というものが
社会のベースにあった時代だと 思う。
それでも、「個」を満たして生きる、というシフトは
既に始まっていた、
そんな時代だったからこそ、
「倉田雪乃」が言い放つ
「他人なんてどう~~~~でも、いい!!!
大事なのは自分なの!!!」
というセリフに、
わけもなくハッとさせられた人や
心打たれた人は数多くいたのではないか。
主人公の「井上彩子」は、
自分のコンプレックスや
雪乃への復讐心をバネにして
自分自身の心の弱さを克服し
「自分の足で立ち、自分の幸せを生きる」
という、ストレートに前向きな在り方や
生きる姿勢を示してくれた。
一方、「倉田雪乃」は
「悪役」というカタチで
「自分に正直に生きる」
ということの大切さを、
私たちに示してくれたような気がする。
現実的には
自分たちの私生活の中では
なかなか公言しにくかったり
認めにくいような自分自身の本心も
雪乃が代弁してくれているような
「悪」の持つ意義、みたいなものも
感じさせてくれる。
そして何より
彩子も雪乃も
顕れ方の違う
かけがえのない
もうひとりの自分自身なのだ
ということを
見せてくれているのだと、思う。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)