日常四コマのパイオニア的作品『あずまんが大王』
目次
鬼才・あずまきよひこの名を世に知らしめたる一作
『あずまんが大王』はやや特殊な立ち位置にある漫画だ。当時まだ漫画業界においてはマイナーであったメディアワークス『月刊電撃大王』の連載作品であり、単行本にしてわずか4巻しか発刊されていない。大判のサイズは書店においても他のコミックスと比べて目立つ位置に陳列されず、『電撃大王』の読者しか『あずまんが大王』の存在を知らないという事態も十分起こりえた。
だが、それにも関わらず『あずまんが大王』の知名度は高かった。 一定層の漫画好きから、『あずまんが大王』ネタは教養の一部の如く公然の事実となっているほど、『あずまんが大王』のキャラ及びセンシティヴな会話のやりとりは”知っていて当たり前”という現象を生み出さした。人気を裏付ける形で、『あずまんが大王』のコミックスは全4巻で累計325万部を発行。四コマ漫画としては異例の快挙である。
では、そんな『あずまんが大王』の人気を支えたものは何か、次項から考察していこう。
間こそ命 『あずまんが大王』の生み出した革新的な世界
『あずまんが大王』は四コマ漫画だ。キャラクターたちの日常が、常に四コマに収められつづられている。
だが、『あずまんが大王』は従来の四コマ漫画とは一線を画している。普通の四コマ漫画は、起承転結を全て四コマの中に入れようとする。狭いコマのなかに複数の登場人物が現れ、事件をおこし、オチをつける。その文化の中に良作があったことはもちろん否定できないが、『あずまんが大王』はそのセオリーを打ち崩した。
一つには、”起”と”オチ”しかない展開だ。1・「登場人物が何かを発見する」、2・「空白」、3・「空白」、4・「オチ」。この流れで四コマが終わる。
肝心の”起”の部分も、大事件が起きた訳でなく”主人公が授業のことを思い出した”とか、”主人公がテストを嫌がった”とか、それだけのことでしかない。漫画の流れに厳しい読者ならば、「で、だから?」と言いたくなる展開が延々と続くのだ。
しかし、その「だから?」と呼べる展開が、『あずまんが大王』の面白いところなのだ。これは、ギャグ漫画の魅力を考察せよと求められるぐらい、説明するのが難しい問題である。独特の間、何も起こらない会話だけで終始終わる漫画。身もフタもないようで申し訳ないが、『あずまんが大王』の面白さは「読めばわかる」と言うしかない。逆に言うと、「読めば必ずわかってもらえる」という自信が、この漫画にはある。
萌えかキャラか 『あずまんが大王』独特のキャラたち
『あずまんが大王』のもう一つの屋台骨となっているのがキャラクターたちだ。
女子高ではないのだが、『あずまんが大王』の主役たちはみんな女子である。物語にはほとんど女性しか出ない。これが”『あずまんが』メソッド”という新たな境地をエンターテイメントに生み出すのだが、これは詳しくは次項にて。
登場する少女たちはみな個性的だ。高校に飛び級してきた天才小学生ちよ。無口な榊さん。常にトラブルを持ち込むとも。マイペースな大阪、などなど。一風変わったキャラクターたちはこれまでの女性キャラクター像には全くあてはまらず、その行動は全く予測不能であった。特に大阪は、”いつもギャアギャアと騒いで一行に話題とトラブルを持ち込む”というパターンが多かった漫画世界の関西人とは一線を画す、マイペースでおっとりとした語り口のキャラクターで、その斬新さが読者の目を引いた。
そんな『あずまんが大王』をして萌え漫画と定義する人も多いようだが、筆者はこれに懐疑的だ。
確かに『あずまんが大王』の連載当時は、まだ世間に萌えという単語が周知される前だ。可愛らしいマイペースな女子キャラクターしか出てこない『あずまんが大王』を萌え漫画のパイオニアと据えたい人も多いだろうが、断じていうが『あずまんが大王』に萌えはない。少なくとも、今世間で認知されているような萌えの定義には『あずまんが』はあてはまらない。なぜなら、キャラが一切、読者に媚びていないからだ。そして作者・あずまきよひこも、可愛い女子たちをアイドル的に売る作品とは見ていない。あくまで、個性豊かなキャラクターたちは漫画・『あずまんが大王』の部品なのである。
これについては、日本国内のみならず海外ファンを巻き込んでの大論争になるだろう。『あずまんが大王』は、文化的尺度を学術的な目で議論するにふさわしい漫画だ。
『あずまんが』以前と以後 エンターテイメントの根幹にも影響を与えた作品
『あずまんが大王』のヒット以降、『あずまんが』に似た作品が世の中に多く出回るようになった。少女ばかりの登場人物。独特のテンポ、間。明らかに『あずまんが』に影響を受けた作家による、劣化『あずまんが大王』と呼べる作品が雨後の筍のように各商業誌に現れた。
しかし、いずれも『あずまんが』ほどの魅力はなかった。キャラも間も『あずまんが大王』ほど成熟したものはなく、前述の「で、だから?」と言いたくなる作品が多かった。
現在、多くの雑誌・媒体で「美少女たちが部活で喋るだけの漫画」が連載されているが、間違いなくこれらは『あずまんが大王』の生み出した文化の上で成り立っている。『あずまんが大王』のメソッドがなければ存在しなかったであろう漫画が世間に認知され、一定の評価を受けているのだ。
これは、『あずまんが大王』以前・以後という文化的尺度を生み出したともいえ、その点においても『あずまんが大王』がいかに優れた漫画であるかを証明している。このような文化的尺度を生み出した作品は、例えばライトノベルでいうと『涼宮ハルヒの憂鬱』や『ソードアートオンライン』のような存在で、こういった作品の後続作品は、どうやっても本家を凌ぐことはない。
唯一無二の『あずまんが大王』。作者あずまきよひこの才能を、改めて評価したい。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)