「捨てる」その先に見えてくるもの -「捨て」は幸福の追求たるのか!?- - 捨てる女の感想

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捨てる女

4.004.00
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「捨てる」その先に見えてくるもの -「捨て」は幸福の追求たるのか!?-

4.04.0
文章力
3.5
ストーリー
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キャラクター
3.5
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演出
3.5

目次

物に溢れる生活をすっきりさせたい「捨て」への欲求

断捨離、とまではいかないが、不要なものを溜めこまない、スッキリと片付いた住まいを作る、が最近のテーマになっている。 生活していると、日々物は増えていく。20代の頃のようにバーゲンに嬉々として繰り出し、服やアクセサリーをバンバン買うようなことはなくなった。けれど、子どもがいるとそれだけで物は増えていく。赤ちゃんのころはおもちゃや絵本、成長するのに合わせて買ったりお下がりをもらったりして増えていく服。幼稚園や小学校に上がると、かさばる工作や、毎日返ってくるプリント類…。

ついつい物を溜めこんでしまう性質の私でも、さすがに溢れかえる物を何とかしなければいけないことに気づいた。

乳がんを機に物を溜めこむ性質が一変!「捨て」に走る著者

そんなとき、図書館でふと目がいったのが、「捨てる女」というタイトル。 著書に対する予備知識も全くないまま、「捨て」ブームの来ている自分の気持ちにフィットする気がして借りてみた。読み出してしばらくして、自分はこの人の絵を見たことがあるかも、という気がして、インターネットで検索してみた。 すると確かに、見覚えのあるタッチのイラスト。どこで目にしたのか定かではないが、かつて読んだ本や雑誌の挿絵になっていたのだろう。 それにしても、著者・内澤旬子のイラストレーターの枠に収まらないその活躍ぶりがすごい。本人はイラストルポライターという肩書を名乗っていたようだが、文章も書くし装丁もする、フォーマットデザインもするし製本ワークショップの講師も…と、著者当人が語る「出版関係の仕事なら何でも」というのがまさにピッタリくる多才さなのだ。

そんな著者が乳がんを患ったことを機にカタストロフを迎え、それまでの収集癖・物を溜めこむ性質を一変させる。ただ、元が捨てられない人だけあって、十年以上の歳月放置されていたジャムや梅干しなども、あっさりと捨てることができず、なんとか食べて消費するところが笑える。

「捨てる」ことのできる贅沢

エッセイの中でハッとさせられたのは、彼女があるドキュメンタリー番組で、ソ連崩壊後の東ヨーロッパの国を取材したときのこと。狭いアパートに住むある家族を取材するが、そこは部屋の狭さに釣り合わない大きい家具に占拠されていて、その巨大家具のために家族は小さくなって眠っている。なぜその家具を捨てないのかと著者も同行したクルーも疑問に思うが、部屋の住人にとってはその家具は大切な財産で、手放したら最後、二度と代わりになるものを入手できないかもしれないから、ということがわかる。

私は大きいショッピングモールに行くと、物が溢れすぎていてくらくらする感覚に襲われることがある。百円ショップなどに行くと、付箋だけで何十種類もあり、ありとあらゆる便利グッズが売られている。

果たして、これが全部必要なものなのだろうか、こんなにたくさんのいろんな種類のものがあるのに、新製品が次から次へと発売され、あれは便利、これは買い!とマスコミが煽りたてる。何かがおかしいという気がしながらも、この生活は確かに便利で不満もないので、立ち止まることなく過ごしてきた。だが、先の家具を捨てられない国の話を読んで、自分が日本という豊かな国に生まれ育ち、「捨てる」という行為でさえ贅沢であることを改めて認識した。

圧巻のイラスト原画及び蒐集本の展示即売会とその後

捨てたい欲に取りつかれ、身の回りの物を少しずつ手放しカオス状態だった部屋も落ち着いてきた著者だったが、「捨て」の集大成となる作業にとりかかる。それが、二十年かけて世界各地の古書店や骨董品屋で集めてきた蒐集本と、イラスト原画の処分だ。

衣類や生活雑貨などは、何年も使っていないものや別のもので用足りる場合などはエイヤッと捨ててしまえるが、趣味で集めたものや、作家の魂ともいえる作品は、なかなか捨てられるものではないだろう。だが、著者はここにも容赦なく「捨て」のメスを入れる。

そこに、長年の仕事の結晶であるイラスト原画をただ捨ててしまうのはもったいない、一同に集めて展示会をしましょう、と、著者の知人のとあるアートギャラリーのプロデューサーが「捨て」に待ったをかける。そこで蒐集本も合わせてのイラスト原画の展示即売会が開催され、原画や古書は興味のある人々の手に渡ることになる。

そして、なんとなく予想ができていたことではあるが、重荷に感じていた原画や蒐集本をようやく手放した著者は、ガックリと鬱状態に陥ってしまうのである。あとがきでも、明らかに捨てすぎた…と後悔をにじませている。

それはそうなるだろうな…と思う。生きるために不本意な仕事をしたことももちろんあっただろうが、物を作り出す職業の人間にとってその作品は魂のこもったものであるはずだ。そして趣味で世界各地において金に糸目をつけずに買い求めた蒐集本というものも、また著者の分身のような大切な存在であったのだろう。

乳がんを患った後、物の溢れる住まいが我慢できなくなった著者であったが、捨ててはいけないものにまで手をつけてしまったようだ。とはいえ、都会に暮らしていると、よっぽどの富豪でない限り居住スペースは限られてしまう。何を残し、何を捨てるか、日々葛藤するのが都市住民の定めである。必要以上に物を増やさず、そして捨てるものの選択も間違わないようにしなければ、と著者の捨てすぎを受けて痛感した。

「お前は一体何がやりたいのか」はきっと著者にもわからない

都会での暮らしを続けるために大量の物を持つことを諦め、あらゆる物を捨てて身軽になった著者であったが、現在では東京を出て小豆島に移住して生活している。この移住についてはあとがきでも少し触れられていたが、物が氾濫しているのに金銭的なことや居住スペースを考えて好きに物を増やすことができない矛盾。そしてそれによって生じるストレスに嫌気がさしたのだろう。

蒐集本の圧倒的な量を見て驚愕した父親や知人に、「お前は一体何がやりたかったんだ?」と問われた著者であったが、好きで集めるものというのは集めることに意味があり手元に置いておくだけで満足するものなので、何がやりたいのか、と問うのは酷であろう。

だが今、小豆島において著者はその食肉に関する知識を活かし、やりたいことを見つけ邁進している。製本に興味が向けば関連する本や道具を集め、自ら製本できるまでになった著者のことだ。興味があるものはとことん突き詰め、そしてまた移住生活に飽きてしまうこともあるかもしれない。

そのとき、著者はきっとまた「何がやりたかったのか」と問われることだろう。

だが、一つのものを生涯かけてやり通す人生が、必ずしも正解であるとは限らない。

著者はその大胆不敵さと実行力をもって、これまでも豚を自分で飼って食肉にできるまで育てるといった普通の感覚の人にはできないようなことを成し遂げてきた。

小豆島に移住してからも、島で捕れた猪や鹿を自家消費でなく販売できるように、食肉加工場を作るプロジェクトも立ち上げ、実現に向けて動いている。

「お前は何がやりたいのか」と問われても、著者は自分を恥じる必要などないと思う。捨てることに関しても、本当は捨てるべきでなかったものまで捨てて、限界を見た彼女だ。一度やりたいことを見つければ、それこそ猪突猛進、とことんまで突き詰めて行くのであろう。気まぐれと言われても仕方がないのかもしれないが、やりたいと思ったことを実現させるその行動力には脱帽する。

今、著者が東京を脱出して小豆島に移住した顛末を書いた『漂うままに島に着き』という本を読み始めている。決して憧れて真似をしたいという生き方ではないが、何か人を惹きつけてやまないものがこの著者にはあり、今後もそれを見守っていきたいと思っている。

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