スウィートノベンバーの考察 - スウィート・ノベンバーの感想

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スウィートノベンバーの考察

3.03.0
映像
4.5
脚本
1.0
キャスト
1.0
音楽
2.5
演出
2.0

目次

ネルソンの人間性について


広告会社のやり手として描かれているネルソンだけれども、彼は本当に仕事のできる人間であったのだろうか。彼の人間性についての考察をしてみたい。部屋にもトロフィー的なものが飾られていたり、過去に手掛けた仕事で何らかの賞を受賞したというやりとりもあったし、確かに優秀という設定なのだろう。しかしながら、どう頑張ってもそうは見えない。例えば、冒頭のブツクサ独り言を言いながらのシャワーシーン、あれは仕事人間としての描写というよりは、単なる卑猥な言葉を発する変態である。彼女との会話からうかがえる女性への雑な扱い。彼女というよりは完全なセフレ扱いである。仕事を理由に彼女の親に会うことを拒み続けている、よくいる遊び人の典型だ。そして、免許更新試験会場での振る舞い。そう、カンニングである。大の大人が、しかも、大変優秀な仕事人間という設定であるはずのネルソンがまさかのカンニングをはたらくだろうか。一般常識を持ち合わせていれば、カンニング発覚後に起こりうる懲罰とそれによる仕事への影響などは、想像に難くないはずだ。
それだけならまだいいのだが、サラに問題を教えろと自分からひそひそ話しかけておいて、試験監督に注意され再試験を言い渡されたてしまったサラを「かばうことなく」試験会場を後にしたというこの卑劣極まりない行い。ネルソンお前のせいだろう、お前が再試験を受けるべきだろう。アメリカ映画では考え難い、主人公のゲスい行いである。極めつけはあの重要なプレゼンのシーンである。ここでのネルソンのプレゼンも卑猥そのもので、完全に仕事をなめている。更には、難色を示すクライアントに対して「激怒し、暴言を吐きまくる」のであるが、こういった彼の一連の言動を考えてみても、ネルソンは仕事ができるのではない。彼は、単に仕事仲間に恵まれ、若さと無知ゆえの勢いで仕事を取ってきただけの、仕事ができると思い込んでいる知性に欠けた傲慢で横暴な人間である。そして多分本人にはその自覚がこれっぽちもない。そして後半でのあまりの変わりよう。
突然現れた女性に次第に本気になるという描写だが、人を愛したことがない男が初めて女性を愛せるようになったというよりは、単に美しい女性から言い寄られたために恋仲になった、と理解する方が自然である。これがもし容姿端麗な女性でなかったならば、より説得力のあるストーリー展開と言えただろう。まとめると、ネルソンは知性に欠けた傲慢で横暴な美人に弱い一般的な男性である。
これが私の考察だ。

サラの人間性について

サラの言動から、サラの人間性についての考察してみる。

冒頭でネルソンから受けた仕打ちについて考えると、彼女は被害者である。しかしながらその後の行動はやはり常軌を逸しており、被害者であることも霞んでしまうほどである。ネルソンの人格を否定するようなことや、ダメ出しをしてきたくせに、自分の姉とはめちゃくちゃ仲が悪いという矛盾も抱えている。その辺の詳しいことは一切描かれていないので何とも言えないが、あなたを救いたいというサラこそが、実は一番「誰かの救いを必要としている」存在であったのだ。人を救うことで自分も救われるような気がするのは分からなくもないが。町中の人に好かれ、子供や動物を愛するサラ。ここまでは理解できるのだが、ひと月毎に男性を救いたい、についてはネルソンも指摘するように、「奉仕するという名目で、ひと月だけ後腐れのない付き合いを楽しむ」だけではないのか。それを望んでもいない人間に対し強引に交際を強要する行為は、愛の力で変えていくというよりは、彼女のエゴであると解釈した方が自然である。

私の考察では、このネルソンとサラはかなり自己陶酔型のめんどくさい人物であり、惹きつけ合うのも当然であろう。

余命宣告された人間の行動

サラの不思議ちゃんすぎる不可解な言動、そして最後の選択はあまりにも非現実的ではないか?もしかして余命宣告されたことのショックでこうなっているのではと考えていたが、よくよく調べてみると余命宣告された人間は以下のような段階を辿ると言われているらしい。

第1段階 ショックのあまり、事態を受け入れる事が困難な時期
第2段階 「どうして自分がそんな目にあうのか?」と、心に強い怒りが込み上げる時期
第3段階 事態を打開しようと必死になる時期
第4段階 事態が改善しない事を悟り、気持ちがひどく落ち込む時期
第5段階 事態をついに受け入れる時期
※「余命宣告されたら……死を受け入れるまでの5段階より」引用
https://allabout.co.jp/gm/gc/440944/

つまり、サラは第五段階に達していたと考えてよい。サラの心境は死を受けれ、どうしたいのかを彼女なりに考えて考え抜いた結果なのだろう。何もかも美しいままで終わりたい。それが彼女の選んだ生き方であり、最後のわがままなのであろう。ネルソンがそれを受け入れた形で終わったのは、冒頭での考察でも触れたが、最初に彼がサラに行ったゲスい仕打ちへの償いであるに違いない。

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