とにかく映像と恐怖を楽しめ - ゼロ・グラビティの感想

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ゼロ・グラビティ

4.504.50
映像
5.00
脚本
4.50
キャスト
4.50
音楽
3.50
演出
4.50
感想数
1
観た人
1

とにかく映像と恐怖を楽しめ

4.54.5
映像
5.0
脚本
4.5
キャスト
4.5
音楽
3.5
演出
4.5

目次

宇宙への憧れ

宇宙って、一度は行ってみたいところ。外国にもほとんど行ったことないくせにね(笑)。もう地球全部飛び出して、行ってみたい。宇宙で仕事をしている人がいる。なんてカッコよくて、先進的で、素敵なことなんだろう。そう思ってた。

この映画は音がほとんどない。それは宇宙には空気も、重力もないからだ。その映像は本当に神秘的で、地球そのものを前にして宇宙ステーションで仕事をするのって、どんな気持ちなんだろうって思う。ライアン博士とマットはいつも通りの仕事中。そしてマットは今回が宇宙での仕事のラストだと決まっていた。きっと帰還したらいろいろな人に話を聞かれるんだろう。当たり前にあるかに見えたその未来は、なくなってしまった。

命がなくなるまでの、カウントダウン。このドキドキがやばい。心臓に悪い。こんなに死と隣り合わせだったんだって…わかってたつもりでわかってなかった。そうだよね、宇宙空間に放り出されたら、人間は数十秒もあれば死んでしまう。叡智を手に入れたような気になって、なんでもできる気がして、やっぱり弱いんだって気づかされるんだ。

人にとっては永遠に続くくらいの黒の空間。その中で死の恐怖に直面し、いろいろなことを思い出して、生きる希望を失いかける。その失いかけるまでの過程のつらさといったら…うますぎる。死ぬときはまず、心からむしばまれるのかもしれない。さすがアカデミー賞だなと思う。

さらっとミサイルによる破片だ飛んでくるけどさ、やばいよね。それ、絶対あり得る。あり得るからこそ、恐怖がとどまるところを知らない。

真空と絶対零度の恐怖

この映画は音楽がまずない。だからこそ恐怖なんだ。真空とマイナス270℃くらいの絶対零度。防護服を外したら一瞬で死ぬ世界。無重力の中で、飛ばされて、どこまで行くのか分からない。このドキドキの煽り方がうますぎて、自然と涙が出てくる。悲しいのか、つらいのか、よくわからない感情にさいなまれながら、終わりが見たくないのに、見たくなってしまうんだよね。

空気がないってどういう世界だろう。調べてみたけど、もし一瞬で宇宙空間に投げ出されたら、ふよふよ浮いてなんかいられないらしい。肺にある空気が膨張して、血管の圧が狂って、数十秒も立てばお陀仏。とりあえず、宇宙飛行士はもしそうなったら空気を全部吐き出すように教わるらしいんだが。それでも真空で吸った瞬間に何も肺に入ってこないため、失神するんだって。体が破滅する瞬間まで意識があるわけじゃなさそうだね…って言いつつ怖すぎるわ!想像しただけで怖すぎる!

そしてその恐怖は、あり得ないことじゃない。絶対近い将来、人が宇宙に行くようになったら、地球で人が海・川で溺れて死んじゃうみたいに、人が宇宙で溺れて死ぬんだ。そして遺体は絶対に見つからないんだ。ハイリスクハイリターン。知らないことを知りたいと願う人間だからこそ挑む壁なんだと思う。この映画を観て、宇宙は怖いって避けたくなるかな。私も怖くてたまらない。だけどやっぱり知りたくないとは絶対に考えられないんだ。知りたくてしょうがないんだ。それをかきたてる映画なんだよなー。

マット…

最後の宇宙だったのに、彼はあと1回事故なく終われたら地球でもっと長く生きていられたはずなのに…宇宙はハイリスクハイリターン。何かを得るために何かが失われることがある。等価交換の法則って、あるんだろうなって思わずにはいられなかったな。よく、「多くの犠牲の上に得られるものなんてクソくらえ!」みたいなことを正義のヒーローが説くことがあるが、血のにじむような努力と誰かの命の上に、いま私たちが立っているということを忘れてはいけないのではないかと考える。

ライアン博士があの空間の中をなんとか生きることができたのは、マットがいてくれたからだった。彼が引っ張ってくれて、導いてくれて、ライアン博士は生き延びていた。宇宙空間でマットとお別れすることになって、あーもうだめだって、ライアン博士も死んじゃうんだって…心臓の鼓動が早くなりまくって、どうしようもない気持ちにさせられる。

マットが…再びライアン博士の前に現れてくれたとき、本当に、本当にうれしかったんだ。だけど、マットはいないって…思い知らされただけだった。あんなにリアルな幻覚が出てくるってちょっとおかしくない?って思うのだが、ライアンが本当にもう死ぬしかないって腹をくくったときにマットは出てきた。マットなら、娘のために生きろと言ってくれたはずだ。自分の中にもそういう気持ちがあったんじゃないのかな。まだどこかで、死の恐怖を感じながらも生きたいと願っていたんだ。

生きると決めれば女は強い

死ぬことへの恐れを払拭したライアン博士は強かった。絶対地球に帰るんだ!ってライアン博士が吹っ切れたシーンはかっこよくて、帰れるって思えるようになった。こうだと決めたときの女性って本当に強いね。楽しんですらいるように感じられた。そんな風に生きてみたいと思ったよ。

宇宙にステーションがいっぱいあってよかった。違う国だろうがなんだろうが、ライアン博士を救ってくれてありがとう。いつもは国がどうとか戦争がどうとか言ってるけど、こういうときには助け合えるものやなー…と。いや、正確にはライアン博士が一人でがんばっただけなんだけど、使えるものがそこに確かに存在してくれているって、やっぱり助けられているって思うんだよ。

女性って覚悟が決まった時なんで強いんだろう。普段がごちゃごちゃ考えることが多い分、本来のポテンシャルがうまく発揮できていないのかもしれないね。いつでも信念のままに行動できる女性がもっと多かったら、自信にあふれる女性がもっと多かったら、逆に強いとか考えないのかもしれない。そんな気がする。

重力に感謝する帰還

ライアン博士が力振り絞って地球に帰還できたとき、重力を確かめるように降り立った。この描写は、まさしくゼロ・グラビティの世界からの帰還を意味しているなーと感慨深いものがあった。若干おかしいなと思うのは、宇宙でさっきまで過ごしていたような人が、地球の湖に不時着して、その水の中で沈むことなく、移動OK・かつ大地の上に車いす使わず立ちあがるって…そんな体の強い宇宙飛行士をみたことがないんだが。テレビで見るのは、帰還して車いすでしか移動できない人たちなんだけど、ライアン博士はもはや気力で立ち上がったのかな?ラストにふさわしい描写だとは思う。

重力のない世界に憧れながら、それがあるからこそ今の私たちの体の構造があるだと思うと、悲しいというかむなしいというか。地球というかごの中の鳥とも言える。でも神秘的だよね。奇跡みたいに積み重なって人が生きている・生物が生きている。それが偶然で奇跡みたいな始まりだったとしても、原因があって結果がある。地球に感謝しないといけないなーってところまで思考の膨らむ映画だった。

地球は宇宙の中ではきっとちっぽけで、太陽系の中の星の1つにすぎない。太陽系みたいな星の集まりが何億と集まって銀河をつくり、銀河が何億と集まって宇宙がある。その中にはきっと地球みたいな星があると信じたいし、別の次元の世界が広がっているんだと思う。理解できないような、どうしようもないようなものが目の前に広がる恐怖。それに打ち勝つことはできないけれど、歯を食いしばってホームに戻る人間の生きることへの執着。そういうものを感じながら、この映像美を楽しむのだ。

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