音楽家であり紙芝居屋であり自転車レーサーである男 - 銀輪の覇者の感想

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銀輪の覇者

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文章力
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ストーリー
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キャラクター
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設定
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演出
3.50
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音楽家であり紙芝居屋であり自転車レーサーである男

4.04.0
文章力
3.0
ストーリー
4.0
キャラクター
4.5
設定
4.0
演出
3.5

目次

ミステリアスで意外な側面がある主人公

主人公の響木は不思議な人だ。自転車レースに精通しているかと思えば、アスリートという感じではなく、知的で冷静で、意外にも過去には、パリまでいってチェロの演奏家を目指したこともあり、そのくせ、なぜか、そこで自転車レースで賞金を稼いで、帰国したらしたで、経験を活かすにしろ選手になるでなく、紙芝居屋になってペダルを漕いでいる。演奏家を目指したのも、どうやら、小さいころから、習っていたとかではなく、結構大きくなって、出会った先生の影響らしく、経験がすくないにも関わらず、思いっきりパリにいくあたり、やはり、変わっているだろう。一見、挫折と妥協つづきで人生が思い通りにいっていないようで、人間、やろうと思えばなんでもできる、という強さが、響木の生き方からは窺える。それにしても、不思議なのは、パリで暴行を受けて、演奏家の道が絶たれたからといって、なぜ、自転車レースにでようとしたかだ。チェロの演奏の技術やセンスが、活かされる競技とは思えないのに。

行き場のない嘆きと怒りと人間不信

自転車レースにでた理由の一つは、父親が死んで仕送りが途絶えたことだ。そして、自分のチェロを売れば、帰国の旅費を稼げたのに、そうしなかったこともある。売らなかった理由は、教授が与えてくれた以上、演奏もしないで、金に替えることは、恩を仇で返すことになると思ったからだろう。真面目というか、義理堅いというか、ただ、そこまで教授を慕っているわりには、ひどい目にあった状態で、助けを求めていない。恋人だったカトリーヌにも、何度も響木を訪ねていたし、負い目を覚えていたのだから、帰国の旅費くらい快くだしてくれたろうものを、やはり、すがることはなかった。

おそらく、チェロを弾けなくなったと、知った相手が、がっかりする顔を見たくなかったのだと思う。教授やカトリーヌは、パリで人種差別をしてきた連中とちがっていた。外国人の皆が皆、日本人を見下してなく、対等に見てくれる人もいると、響木は信じていた。が、演奏ができなくなってから、チェロの才能があったから、大目に見てくれただけで、そういう価値がなくなれば、他の外国人同様、教授もカトリーヌも冷たい目を向けてくるのではないかと、考えるようになった。そんな残酷な現実に向きあいたくなかったし、逆に、日本人だろうと、利用価値があると見なされれば、人種差別もさほどされないだろうと、割りきり、自転車レースで潰しのきく選手として、徹しられたのかもしれない。

この経験を経て、響木は外国人に対してだけでなく、人間不信になったのだと思う。所詮、人は人を、自分にとって利用価値があるか、必要価値があるか、でしか見ないで、価値がなくなったり、お荷物になれば、どうでもいいと思うものだと。おそらく、そのせいで、帰国してからは、紙芝居屋をやっていた。会社や組織に属して、また、似たような人間関係で悩まされるのがいやで、だから、一人ですべてまかなえる仕事を選んだ。単純に喜ぶ子供相手なら、へんに身構えなくてもよかったのだろう。といって、外国で痛い目に合い、父親を亡くし、会社や実家などの拠り所もなくした割には、紙芝居屋をやっていたころの響木の描写は、悲壮ではなく、むしろ生き生きしているように思える。日本で自転車レースをしている途中、それら壮絶な過去を回想しながら、自分は復讐をするために、ここまできたのだというような、ことを思っているが、復讐するために紙芝居屋をしたというのは、説得力に欠けるし、門脇社長にけしかけられても、渋っている。復讐するのに、組んだはずのメンバーにも利用する以上に、目をかけて、なにより、ターゲットに復讐しないで、手を差しだす始末。

人を信じられない世界は寂しく、人を信じられる世界は美しい

こう考えてみると、復讐は名目で、響木にはほかに目的があったように思える。人をもう一度、信じてみたかったのではないかと思う。自分のことしか、考えていなく、他人のことはどうでもいいと思う人はたしかに、いる。そうでもない人もいる。ただ、大勢の人間からさがしだして、接してみないことには、そうでもない人がいることを実感できない。実感できない以上は、すべての人間が偽善者に見えるような世界で生きることになる。それは、寂しいことだ。

響木はおそらく、パリで暴行を受けたあと、教授とカトリーヌに向き合わなかったことを、後悔している。「助けてくれ」と泣きついて、冷たくされたかもしれないが、前と変わらずに接してくれたかもしれない。必ずしも、人が自身のことを省みないで、他人を思いやってくれるとは限らないとはいえ、響木のように避けてしまっては、二分の一の確立の、その幸運にもありつけないのだ。ときに人の薄情さに傷つきながら、ときに人の思いやりを受けることで、どこまでも利己的で冷酷な人間がいたとして、そうでない人がいないわけではないと、思えて、安心ができる。それぞれ思惑がありながら、その目的を度外視して、怪我をした響木を庇っていたメンバー、皮肉にも、身を呈して助けてくれた復讐の相手に、接したことで、そんな安心感を、パリで失った以上に、響木は得られたのではないかと思う。

が、折角、人の善意を信じられるようになった響木を、嘲笑うように、日本に原爆が落とされる。必要価値利用価値があるか、でさえ見ない、人を人とは思っていないかのような、狂気の沙汰の蛮行に、響木は深く傷ついただろう。それでも、自転車レースで真正面から人と向き合った響木は、もう人間不信になることなく、強かに生きていけるのではないかと思うのだった。

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