愛と音楽は大きな力をもっている
目次
それはとても切ない始まり
アリエルがまだ小さい時、アリエルの母親は船の事故で亡くなってしまう。妻を心から愛してやまなかった父トリトンはその悲しみや辛さを少しでも遠ざけるため、彼女の好きだった音楽を宮廷内で禁止してしまう。暗く色を失った宮廷で大きくなったアリエルは、ある日宮廷の外にある音楽クラブを訪れる。そこでみたのは、楽しそうに歌うセバスチャンではないか!
母親譲りの気質もあり、アリエルは音楽を愛するようになり、やがて父トリトンにも昔のように戻って欲しいと願うようになる。
Iからは想像できない、深い悲しみ
Iはアリエルが「宮廷の音楽祭で初めて歌をお披露目する(実際にはすっぽかしてしまうが)」というなんとも期待と希望に満ちた明るい場面から始まる。それゆえに、IIIのこの始まり方がとても悲しい。愛する人を亡くしてしまったトリトンの暗い表情が痛々しく、母と音楽を失った娘たちの悲しみもまた胸を締め付ける。
IIIに関しては主人公はアリエルではなく、トリトンだと言っても良い。
愛しい妻を亡くし、彼女の死という受け入れがたい現実と痛みを忘れるために音楽を禁止したというのに、妻に生き写しな末の愛娘がまた音楽を愛している。
アリエルをみるトリトンの目がいつものように優しい反面、不安と悲しみの色も隠せずにおり、みているこちらも非常にもどかしい。
音楽禁止の理由は、ひとつではない
アリエルの母は船との接触によって命を失った。ボールを追って車道へ飛び出してしまう子供のように、トリトンからもらった大切なオルゴールを追いかけてしまったからだ。
現実的に冷めた目線で見れば、そんなものよりも娘たちのためにも、自らの命を優先させるべきだったはずだ。結果的にオルゴールは無傷で残り、アテナは死んでしまう。
この状況をトリトンがどう思ったか、というのが彼の行動のすべてに現れている。
音楽の禁止は、言わずもがなその苦しみを忘れるためであるが、それだけではないだろう。
アテナが追いかけたオルゴールを彼女に贈ったのは紛れもなくトリトン本人である。トリトンにしてみれば、彼女が音楽を愛する気持ちに寄り添ったつもりが、自身の贈り物のせいで妻が死んでしまったというのは、極論、自分が殺してしまったという自責の念に繋がる。
音楽を愛することを許せば、きっとまた同じように娘たちにも贈り物をしてやりたくなるだろう。しかしまたそのために同じ悲劇が繰り返されることを、トリトンは心のどこかで不安に思っているのだ。娘たちだけはなんとしても守ってやらねばという強い愛情と不安がゆえに、彼は音楽を愛したアリエルを厳しく罰するのである。
もう一つの理由として、アテナの死を忘れてはならないという戒めがあるのではないだろうか。
音楽には人の心を癒す力があることを、トリトンはよく知っているはずである。彼にとっての「音楽」とは、アテナのことだったのだろう。だからこそ彼女を忘れるために禁止し、またあえて明るさを宮廷に取り戻さないことで自分の犯した失態を忘れないために禁止したのだ。なんて切ない決断なのだろう。
様々な愛の形
トリトンにとってのそれは、娘たちを守ることと、アテナ、そして自分の罪を忘れないこと。しかしながら年頃の娘たちにそれは伝わらないし、伝えるつもりもなかっただろう。
娘たちからしてみれば、「父の気持ちは分かるが、楽しい世界の方が好きだ。いつまでこの雰囲気は続くのだろう」というのが本音で、音楽が彼女たちにとって楽しさをもたらしてくれるものであったのは間違いない。
だからこそシンプルに、音楽が宮廷に戻れば、トリトンを癒せるはずだと考えるのだ。
作中ではまるで、「夜中にこっそり家を抜け出し、クラブにいく少女たち」といった演出がなされており、どこか親近感を感じずにはいられない。
親に内緒でこっそりどこかへ出かけたり、何かをするというのは非常に楽しい。
しかし彼女たちはそうでない。遊びたい盛りの娘たちが暗く静まり返った宮廷で抱えるストレスはとても大きい。しかしながら愛する父の苦しみを間近でみているのもあり、その鬱屈とした気持ちを吐露することはできない。
ストレスと愛がゆえにトリトンは音楽を遠ざけたが、その娘たちは同じ理由から音楽に近づくのだ。
この構図もなんとももどかしい。
理由は同じなのに、行動は正反対だ。
しかしどちらの深い愛も、相手には理解できない行動となって現れてしまったがために衝突する。Iのアリエルとトリトンの衝突とはわけがちがう。
オルゴールとの再会にトリトンは何を思ったか
アリエルは海底で見つけたオルゴールをトリトンに持っていく。
彼女の中では「オルゴール」=「母との美しい日々」という図式がまったく純粋な気持ちから出来上がっていたからだ。
しかし、トリトンの気持ちはどうだったのだろう。
「アテナの死を思い起こす遠ざけたいもの」や「罪の意識を再び蘇らせるもの」ではなかったのだろうか。
おそらく、それは間違いないだろうが、トリトンがこれを受け入れたのにはアリエルがオルゴールを持ってきた「状況」にある。
宮廷の外でマリーナ一行に襲われたアリエルたちであったが、なんとか力を合わせて危機を脱した。その一番最後にアリエルはセバスチャンという大事な友人を守るため、身の危険も顧みずにマリーナに突進する。父に届けるためのオルゴールを離してしまわぬよう、つよく握り締めながら。
その姿はアテナそのものだ。
自分の愛するもの、大切なもののために必死になるアリエルは、トリトンが贈ったオルゴールを本当に大切に思っていたからこそ追いかけてしまったアテナと同じ。
そしてその同じ血を引く愛娘が、今度は命もオルゴールも失わず、自分の腕の中にいる。
トリトンの安堵はどれほどのものだっただろうか。そしてアリエルがみせたその行動の一部始終にどれほど深くあたたかい愛情を感じたことだろう。
彼女が父を思う気持ちの深さと、自身がこのままではいけないことに気づいたトリトンは宮廷での音楽を解禁、Iでみせたように音楽を楽しめるようになるのである。
そして次なるテーマ、「人間との和解」へ
音楽をゆるしたトリトンだが、やはり妻の死の原因である人間を許すことは、同時にはできなかった(魚も食べるし)。なにかと問題児なアリエルではあるが、彼女の行動がいつもトリトンを変えてきた。世の父親も娘には甘いものだが、トリトンは一段とアリエルに甘い。
しかしエリックとアリエルの結婚を許した背景には、こういった自身の辛い過去があったからかもしれないと、Iの泣きそうなアリエルに足を与える場面では心がはちきれんばかりの感動を覚える。
人間との結婚を許す、しかも最愛の末娘と。
それはトリトンにとって、「人間を許す」まではいかなくとも「人間を憎まない」という大きな意味を持つはずである。つまり、アテナの死はこの時やっと「殺害」から「事故」へ変わったのだ。
父と娘のモチーフにみる強い絆
母親と息子の間にある絆は恋人関係に近い、というのはよく言われることだが、父と娘はどうだろう。恋愛関係に近い絆では少なくともないと思う。
父親にとっての娘というのは、いつまでも小さなプリンセスだ。しかしいつか自分のもとを旅立ってしまう。それをわかっているからこそ、母と息子のようなべったりとした愛情表現は少ない。
息子に恋人や妻ができると、母親的には「とられた」という気持ちになるようだが、父娘の場合、「ついにこの時が来たか…」と切ない気持ちになるらしい。
トリトンとアリエルにみる絆はまさにそれで、どちらにも文字には起こせないほどの深い愛を感じずにはいられない。
親子の絆に注目してみてみると、よりキャラクターたちの心情が読み解けるはずである。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)