マクロスじゃないマクロス - マクロスゼロ-MACROSS ZEROの感想

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マクロスゼロ-MACROSS ZERO

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マクロスじゃないマクロス

5.05.0
映像
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ストーリー
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キャラクター
5.0
声優
5.0
音楽
5.0

目次

本来のマクロスとは!?

「超時空要塞マクロス」というのが、初代マクロスの作品タイトルです。

初代作品「超時空要塞マクロス」の1年前を背景とした場面で物語が展開されています。これが、「ゼロ」と名付けられた所以ではないでしょうか。

しかし、「マクロス」とは、超大型移動要塞の名称を指すものだと考えられます。このOVA作品「マクロスゼロ」において、超大型移動要塞の存在はありません。「マクロス」の名前は引き継がれていますが、実は「マクロス」がアニメ本編には登場していないのです。

「マクロス」ではない「マクロス」だといえるのではないでしょうか。

ただし、初代「超時空要塞マクロス」と同じ世界で、物語が展開されていながら、登場人物が全然違うものになっております。しかし、登場人物ロイ・フォッカーの存在は、同じ世界を背景に描かれている事実を表すものだと受け取れます。フォッカー少佐は、髪型が変わっていることからイメージが違いますがが、性格や内面の印象はそのままなのではないでしょうか。髪型の違いは、髪が伸びたという認識で受け取れます。そして、フォッカー少佐の声優は引き続き、神谷 明さんが担当されており、キャラクターのイメージを崩すことなく観ることができるのは嬉しいです。

ただ、継承されているのはフォッカー少佐の存在だけであり、他の人物においても焦点を当てて欲しかったように感じられます。

しかし、初代の「超時空要塞マクロス」を観ていなくても、「マクロスゼロ」というOVA作品を楽しむことができると思います。この「マクロスゼロ」というOVA作品がマクロスシリーズの入り口だという方も居るのかもしれません。

 

民族の価値観

マクロスシリーズらしい展開だと感じられるのは、同じ人類でありながら、違う民族におけるそれぞれの価値観を描いていることではないでしょうか。

初代作品「超時空要塞マクロス」では、異星人との戦いや交流が描かれていました。しかし、OVA作品「マクロスゼロ」においては、同じ人類でありながら文化の違う民族間との交流を描かれています。

異星人の存在が、異民族という存在に置き換えられたものと捉えることができます。

お互いが歩み寄ることで、相互理解をしていく様子はマクロスシリーズらしさを打ち出したものだと考えられます。きっと、意図的にこういった脚本・内容にされているのだと思います。

初代作品「超時空要塞マクロス」の内容を彷彿とさせるものです。

ただ、「マクロスゼロ」のアニメ本編で驚かされた展開として、民族における文化や風習を人類の起源として描かれていたことです。一民族の文化・風習に留めておくと思っていましたが、予想より大々的なものとして扱われていたことに驚かされました。

そして、一般的に現実社会でいわれている学説と大きく違い、異星人の手によって、地球の人類が作り出されたという突拍子もない設定にも驚かされました。

そして、閉ざされた民族の文化に異星人の存在を匂わせることで、初代「超時空要塞マクロス」への架け橋にもなっています。それぞれ外見は異なっても、その起源となる存在には同じものが関わっていることが表されています。

現実社会から見ると、突拍子のない世界観が描かれている初代「超時空要塞マクロス」ですが、その中継ぎとしては上手く設定を考えられているように思います。

初代「超時空要塞マクロス」における監察軍と、人類という存在の繋がりが自然に感じられる形で、うまく描かれていたのではないでしょうか。

フォッカーの名台詞

この「マクロスゼロ」というOVA作品の中で、ひとつだけ印象に残っている台詞があります。それはフォッカー少佐が、アニメ本編の終盤で、主人公の工藤 シン(くどう しん)にかけた台詞です。

「惚れた女のために一度は命を捨てても良いんじゃないのか」

ヒロインのサラ・ノーム救出に向かう場面で、放たれた台詞です。ツッコミどころだと思いますが、アニメ本編ではそのまま流されています。言いたいことは理解できますが、言っていることが面白くて印象に残ってしまうのです。

この台詞の面白いところに気付かれているでしょうが、本当に一度でも命を捨ててしまったら二度目はありません。一般的な表現で「いっぺん死んでこい」というものがありますが、それと同義です。現実的に実現不可能という意味では、「豆腐の角で頭打って~」という言葉もありますが、それと同義ともいえるのかもしれません。

もちろん、フォッカー少佐の発言の真意は、「中途半端な気持ちではなく、それぐらいの覚悟でぶつかりなさい」という意味であることは理解できます。しかし、真顔で不可能なことを言い放っていることに、フォッカー少佐の格好良さが表れているのだと思います。

 

イケメンキャラクターらしい台詞ではなく、三枚目キャラクターの放つ人間らしい言葉だと思います。そして、その発言の面白さから、印象に強く残ってしまうものになっています。

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