今のことは今わからない
タイムカプセルを開けるようなドラマ
現在のように、ドラマがDVDやらブルーレイになりレンタル出来たり、動画配信されるなんて…夢のようだ…と思います。そんな私はテレビドラマは水物だという感覚が今だに抜け切れていません。毎週の放送を楽しみにして、放送時間に合わせて入浴や勉強や家事などのスケジュールを立て、放送時間にはテレビの前に座る。家族が集合に遅れそうになったら、「始まったよー!」とテレビの前から声をかける。そんな時代には、ドラマはその時にしか見られないもの、でした。ちなみに映画は、映画館に一度入場すると、一日中座っていられました。粘れば、何回か繰り返し見られたものです。レンタルビデオのお店やテレビの録画機能が充実し始めたなあ…という時代がひとっとびに過ぎ去り、「ビデオ」と言う言葉自体をあまり耳にしなくなりました。そんなわけで、このレビューを書いている現在より20年前のテレビドラマも見ることができます。その一つが今作です。
まだ、駅改札でスイカのない時代です。遊びと言えば、「カラオケに行きましょう」なのです。行きつけの喫茶店もコンクリートの壁と言う感じで、主人公のファッションは、デートの時に金色のジャケット(主人公は百貨店勤務なので、センスはいいはずですが??)。テレビドラマは、オシャレや流行の先端を行っているはずなので…ひとまず、これらを飲み込まなくては視聴に集中できません。懐かしさより、恥ずかしさで「ひえー」とおののいてしまいましたが、当時はこんな感じだったのだと思います。近い過去ほど見失っているものです。
時代背景は影響していない?
放送された1996年の流行には女子高生が力を持っていて、ルーズソックスやアムラー(安室奈美恵を真似した格好の人)、チョベリグ(超べリーグッド・とても良いってこと)などの造語が流行っておりました。あとは、1996年の男子はずり落ちそうなズボンをはいてだるーい感じで歩いたり、地べたに座っていて、おやじ狩りをして…そんなのが目立っていました。ストーカーという言葉も出てきたのがこの頃です。倫理観がゆるくなって、放り出された子供たちが孤独を修正しようとしていた時代のようにも見えます。それを本作に当てはめてみると、そういう類の時代感は、やや薄めのようです。
作中に女子高生(主人公の妹)が出てきますが、見た感じには大人しめ。長電話で、姉みたいになりたくないとか何とか友達と話していましたが。姉からの目線で描かれているのか、普通です。他の女性陣は流行りの細眉なのかなというくらいで、「あーあの時代のOLさんだ」というのは分かりません。普通です。相手役の、新谷などを見ると、意欲的な雰囲気さえあります。軽いと思われる場面もありますが、それはパフォーマンスとして見せている新谷の姿だとすぐに分かります。恭子の真面目さを見抜くようなところもあり、結局新谷こそ真面目なのではないかと分かるのです。普通です。
なので、このドラマ、10代が取り沙汰される中、やや袖にされていた普通のお姉ちゃんお兄ちゃんのお話と言うことでしょうか。まず、トレンドを取り入れた、時代を感じる作品では無いように思いました。当時はどのくらいの人が共感したのかわかりませんが。ユーミンの主題歌だけが、やけに目立ちます。
どの的に当てたかったのか
ちょうど、今作の脚本家の柳祐美子と恭子役の永作博美は当時26歳で、物語の主人公と同じ年齢だったようです。それゆえに、よりリアルに描かれているはずなのです。客観的ではなく「生」の26歳が表現されているのかもしれません。だけど、客観的でないから、うまくいかないこともあるのだと思います。私は、どうもこの作品は後者ではないかという気がするのです。
時代を取っ払って、年齢が同じ26歳の人は共感するのだろうか、というのも疑問なのです。美歩と同じような性格の人なら共感するのでしょうか。真面目で、軽いノリが嫌いなのに、自分は真剣に何かに打ち込んだり、向き合ったりは出来ていないと感じている人。あまり不自由なく暮らせてきて、父親はやや過保護でうるさいですが、きちんとした親に育てられて、箱入り娘と言ってもいいような娘さん。そういう人が共感するとしたら、結構ストライクゾーンが狭いドラマだと思います。
共感を求めた作品では無い、と言われればそれまでですが、では、何にそそられたらいいのか、狙っていたのは美歩と恭子の関係性でしょうか。こういう女子同士の関係を経験する人もいるとは思いますが、経験するにしてももう少し若い時なんじゃないかなあと思ったり。初回から、ポテトを口で差し出して、口で受け取ったりするのは、挑戦的な感じでしたが。好き嫌いが分かれる場面でもあります。それを初回に放送するのだったら、このままもっと、どろどろとした展開に思い切って欲しかった。「そういうドラマ」として安心して見たかったです。結局「え、今の何?」程度で止められるのがもどかしい。ただの仲良しの延長なのか、そうではないのか、なんとなく宙ぶらりんな気持ちにさせられるんですよね。後半に進むにつれ、恭子の思いは強くなりますが、それでもどこかちょっと常識を踏み外せてないのが半端でつまらなかったです。この二人だけの物語に的が絞られていないから。メインは新谷と美歩なので、そうなってしまうのは仕方ないですが。新谷と美歩の恋愛にも興味をそそられませんでした。ふーん、だめじゃん…みたいな気持ち。
表現はふたを開けるまで分からない
孤独や、大人と言われてもいい年齢なのに大人になり切れていない、その準備すらできていない、とは言え、子供のようにまっすぐな気持ちもない。そういう悩みの塊を表現した作品なのかもしれません。だけど、そういうのであれば「中学生日記」の方が面白いです。2時間くらいのドラマや映画にまとめてしまうと良かったのかもしれません。小説も良いかもしれません。台本で見ると良い作品だったのに、演じてみるとちょっと間延びした、そんなんじゃないのかなという気もします。恋愛を描きたかったというより、何か一つ乗り越えるための勇気をじわじわ描いていたのかもしれませんが、目に見えないもの(行き詰った感情など)を映像で表現するのは本当に難しいことなのだと思います。具体的な出来事から感情を予想させて浸らせるというのは至難の業ですね。今作は、何が悪いというわけではなかったのですが、私は浸りきれませんでした。
美歩や恭子だった人たちは今
今見ると、20年前は、26歳が16歳くらいに傷つきやすかった、それだけ純粋だったんじゃないかな、と思います。今は、晩婚化していますし、結婚しない人どころか恋愛をしない人も増えてきています。一人暮らしなんて当たり前で、多分、一日のスピードも随分と速くなってしまって、何でも素早く取捨して、知らない人と知り合いのように連絡出来て、女性は一人で外食やカラオケに行くし、一人でいた方が楽だと考える人も増えていて、老後は不安定で、まあ云々。そういう今です。それでも果たして、女性は自立出来ているんでしょうか。ここに美歩が来たら、どう生きるんだろう。それから、その後の美歩たちは、つまり今、46歳の方たちはどんな気持ちで、どんな暮らしをしているのかな、とふと思ったりしました。
主演の常盤貴子は、今作で自分より2歳年上のキャラクターを演じています。女性の25歳以上と以下では、精神的な差が大きい時。良く演じきれたなあと感心しました。彼女が「連ドラの女王」と言われた初期の作品を見る価値はあると思います。
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