朝日新聞連載を完全収録
四半世紀を超えた長期連載
「ののちゃん」は、1997年から朝日新聞朝刊に連載されている4コママンガですが、1991年から連載中の「となりの山田君」から題とごく一部の人物設定を替えただけなので、ほぼ同一作品といえます。通算四半世紀を超える長期連載となっています。ナンセンスな似顔絵ギャグで一斉を風靡し、夕刊フジ連載や、朝日新聞日曜連載「経済外論」も好評だったいしいひさいちですが、一般紙連載は難しいだろうとうという見方が当初からありました。新聞マンガに求められる微温性とは正反対の作風ですし、3年の短期で終わってしまった読売新聞の秋竜山の二の舞となるのではないかという危惧がささやかれていたぐらいです。
結果は、完全に杞憂に終わりました。いしいひさいちの側で格別に作風をマイルドにしたわけではありません。時代が変わったともいえますし、朝日新聞社がよく粘って作家を守ったといえるかも知れません。それでもいくつかの軋轢はありました。いくつかを見てみましょう。
関西弁とナベツネ
当初抗議が多かったのは関西弁です。いしいは岡山県出身ながら関西大学在学中にデビューし、大阪暮らしが長かった人ですから、比較的関西弁に作品を多用する人です。とは言っても「じゃりんこチエ」のはるき悦巳のように大阪ローカリティをどーんと押し出すタイプではありません。「となりの山田君」「ののちゃん」も別に関西が舞台ではありませんし、レギュラー登場人物のうち祖母のしげと母親のまつ子だけが関西弁を使うだけです。とはいっても天下の朝日新聞の顔にはそぐわないと考えた人が多かったようです(朝日は元々は大阪発祥なんですが)。もっとも、特定の方言が気に食わないという抗議は何ぼなんでも理がなさすぎ、すぐ沙汰やみとなりました。ただ、しげやまつ子の言葉は関西弁としても決して上品な方ではなく、「アホンダラ」「何ぬかしてけつかんねん」とか、かなり口汚い表現が女性の口からポンポン飛び出るのですが、その部分に絞って抗議を押し通す動きはなかったようです。結果、上記の言葉が小学生ののの子が口真似するような場面も飛び出るほどになり、いしいひさいちの寄りきり勝ちとなりました。
もうひとつ問題になったのは町会長のナベツネさんで、これはいしいひさいちが昔から描いている読売新聞社トップ渡邉恒雄のパロディキャラクターです。さすがに朝日に書かれることはガマンならなかったようで、本人から抗議があったようです。この抗議もさすがに、かなり照れくさいものがあり、繰り返し行われはしませんでした。結果、ナベツネさんは、登場回数が減りました。それだけです。封印は決してしませんでした。
いしいひさいちは政治マンガも多く描いているわりには思想的立場を鮮明にすることをしない人ですが、(そもそもエッセイとか「自分の意見」をナマで書くことをほとんどしない人なのですが)、それでも傾向ははっきりしていて、徹底しておちょくられるのはほぼ右派の政治家か言論人です。中曽根元首相とナベツネが典型ですが、二人ともあまりにもデフォルメされ続けるので可愛らしくなってしまい、作品から反体制的なイメージをスポイルしています。
富田月子とロカ
以上の2例は、いしいワールドをそのままの形で大朝日新聞に侵食させてしまった勝利例といえるでしょう。抗議があったかどうかはわかりませんが、さらに過激なのは、のの子の担任の藤原瞳先生です。人生テキトーが座右の銘なのはいいとして、自習連発で授業中に読書に耽る超問題教師。ただ、プールの監視中にヘッドホン差して本に目を落としっぱなしの間、プールでミニ宇宙戦争が始まって終わってしまい、何も気づかずじまい、とまでやられると、教員組合も抗議のしようがないでしょうが。
これらに対し、比較的早々と排除されてしまったキャラクターもいます。長男のぼるの同級生でオカルト的設定を帯びた富田月子。ファド歌手をめざう女子高生・吉川ロカ。彼女たちが受け入れられなかった実情は、人々が、過激な表現にはある程度寛容でも、わけのわからない不安を与えるもの、マニアックなものには拒否反応を示す実情を反映しているといえるでしょう。
一切描かれない東日本大震災
なお、本作は新聞マンガとしては時事ネタを取り上げることが非常に少ないのも特徴です。特に東日本大震災は一切描かれず、かわりに作品世界で「過去に起こっ大海難事故」が設定として付与され、何人かがその遺族ということになっています。これは実に胸を打つ処理で、生活ギャグとナンセンスギャグが噴出する世界にそこはかとない峻厳さを醸し出しています。
ところで、「ののちゃん」「となりの山田君」は数社から何種類もの単行本が出ていますが、徳間書店の「全集」と銘打ったものだけが完全収録で、あとは傑作選集ですらないので注意が必要です。かつていしいひさいちは、完全収録も同じキャラクターで単行本をまとめることも嫌う作家として有名で、大ヒットした「タブチくん」ですら、最初の単行本は他作品を混ぜたバラエティ的な作りでした。それがここへ来ての指針変更には、代表作としての強い自負が感じられます。
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