ゾウ大好き青年爆誕
ゾウが大好きトニー・ジャー
トニーと言えばゾウ、ゾウと言えばトニー。そんなイメージがいつからうまれたか。元を正せばトニーの実家がゾウを飼う習慣があったという所が大きいだろう。しかしそれだけではこんなことにならない。なんせ、マッハ!の時代は誰もそんな事を思っていなかった。
そう「トム・ヤム・クン!」。全てはこの映画から始まったのだ。マッハ!を凌ぐアクション超大作として世に出されたトム・ヤム・クン!。この映画をアクションの素晴らしさで語る考察は無限にあるだろう、なので、その辺は偉い評論家の先生にお譲りする。
代わりに私はこの方向からトム・ヤム・クン!を考察したい。
ゾウ大好き青年のキャラクターはトム・ヤム・クン!でうまれたのではなかろうか。
そしてそうであるならば、何故にこんな異常なレベルのゾウ大好き青年がうまれてしまったのか、そこを考えねばなるまい。
向上した演技
まず第一に。この作品はマッハ!に続くトニー主演作品の二作目で、マッハ!が爆発的ヒットとなった直後の作品である事が大事な点だ。マッハ!はアクション映画として大ヒットしトニーのキャラクターを世界に印象付けたが、その当初から言われていたことがある。
「演技が下手じゃないか?」「感情が無い」。
トニーの演技の良し悪しについては、私は肯定派であるのでここでは意見することをさけるが、まぁ、そんな世間の声を受けて真面目なトニーは一念発起。きちんとした演技指導の先生の元で演技の修行を行った。アクションだけでも修行しすぎなのに、いよいよ演技も磨きはじめてしまうこのストイックさ。殆ど変人である、勿論、良い意味で。
はてさて、そんな修行の甲斐あって、本作トム・ヤム・クン!でトニーは飛躍的に進化した演技をみせる。ゾウの死への悲しみ、弟として可愛がるコーンへの愛、穏やかな幸せの表情、そして密猟者への怒り。前作とは別人のような豊かな表情が次々に画面上に現れる。
コーンを探して違法料理屋で戦う有名な長回しのシーンの直後、食材倉庫で泣きながらコーンを呼び暴れるトニー演じるカームの切迫感ある表情は、見ている人間の心を打つ。
修行の成果は抜群だ。マッハ!の時とは比べものにならないリアルな演技。湧き上がる感情。しかしちょっとまっていただきたい。一作目でほぼ無かった感情が、二作目でこんなに表現されてしまっている。その状態が観客に感じさせる気持ちは一つだ。
こいつ、ゾウの事になると必死だな。
あまりに飛躍的な進化をみせてしまったトニーの演技が思わぬ副産物をうみだした。マッハ!の主人公ティンだって、死ぬほど必死に仏像を追っていただろう。だけどカームの方が必死さが10倍位に見える。これは技術的な理由が大きい。うっかりスピード進化しすぎて観客が追いつかないという状態がうまれてしまったのだ。これによって「ゾウだけが特別」という印象が観客に根付いてしまったものと思われる。
健在の鬼神ぶり
更に、相変わらずの鬼神ぶりもその効果を後押しする。強い敵は現れるものの、基本的にカームの心が折れることはない。ちょっとピンチになったりするが、全体的に無敵の印象はそのままだ。
後半は刺されているのにそれを忘れたかのような戦いぶりを見せるし、 件の長回しのシーンでは、誰が敵かどうやって見分けているのか怪しいが向かってくる人間はボコボコにしている。鬼のようだ。ゾウを酷い目にあわせるやつも、居合わせたやつも同罪だとでも言わんばかりの勢い。確実に状況を理解せずに殴られたやつがいるに違いない。まぁ天罰のようなものだから仕方ない。ゾウにはあんなに愛を注いでいたのに、人間にはこの仕打ち。迷いなく戦う姿がその思いに拍車をかける。
編集センス
その上、もはや狙っているのではと思わせるのが編集センスだ。
物語序盤、ゾウを盗んだ男のアジト(別荘?)に主人公は単身乗り込むわけだが、陽気な音楽が流れる室内のシーンでなんの前触れもなく、二階部分の階段からカームが飛び蹴りを放ちながら飛び降りてくる。下にいた3人はとんでもない衝撃で吹き飛ぶ。挨拶なしにも程がある。せめてドアを開けるシーン等をつけて欲しい。本当にいきなりなのだ。災いが降ってくる感じ。
メイキングによると、これ以前の入り口で揉めるシーン等もきちんと撮影されている。そう、撮影段階ではあるのだ、急なイメージを与えないちゃんとしたシーンが。しかし使わない。どういうつもりか知らないが、それらを全部カットしてカームが飛び降りてくるところからスタートという編集をしている。結果、ますます話を聞かないイメージは強くなるばかり。
後半の料理店のシーンも、初対面のコックを箱に突き刺している。いきなり知らない人が暴れながら入ってきたら悪人でなくても抵抗するだろう、自分の店なら尚更だ。しかし、その言い訳さえもカームには通じない。
ゾウを盗んだから言い訳もさせて貰えずボコボコにされる。罰を与えるゾウの神様の光臨である。
ヒロインって一体・・・
思い出すとハッとする事だが、この映画にはヒロインが存在する。多分、作品を見た人も記憶の彼方だろうが、そう、料理屋で働いているジョージの恋人のあの女性だ。名前はプラーという、タイ人女性。倒れていたカームを部屋に運び(どうやって運んだのかは永遠の謎だが)介抱して、更にコーンの居場所のヒントとなる情報も与えてくれた。彼女が悪い警官に捕まりそうになっていた所をカームが助けたりと、何となく情報だけみればちゃんとヒロインしている感じがする。パンフレットにもヒロインとして名前が載っているし公式なのだろう。
しかし正直言って彼女の劇中でのイメージはほぼ皆無だ。薄すぎる。見ようによっては彼女がジョージの恋人だと気付いたカームが情報を得ようと助けたようにさえ見える。
正確な情報がないので解らないが、この時代のトニーは特に女性との絡みが避けられているようなイメージだ。まだ若いし女性ファンも多かっただろうから、その辺を配慮したのかもしれない。その結果ヒロインとは名ばかりの、恋愛ゲームで言えば情報をくれる親友位のポジションの女性がうまれてしまった。ヒロインとしてはちょっと悲しい結果だ。だってヒロインよりも、ゾウの方が圧倒的にヒロインだから。
偶然がうみだした産物
このように様々な要因が複雑に絡み合い、偶然的にトニーのゾウ大好き青年のキャラクターはうまれてしまったものと考えられる 。もはや、このキャラクターを生み出したトリガーがトム・ヤム・クン!という映画であるという点に関しては疑いの余地は無い。
トニーを含む映画制作スタッフは強いタイ愛を持っていた。自国への愛を表現する為に映画をつくり、一生懸命表現した。
マッハ!ではムエタイと仏像を使ったから、今度はゾウにしよう。タイなんだから、ゾウも使うべきだ。その意見が出たときにゾウと仏像やムエタイに優劣は無かっただろう。どれも全部大事、その気持ちで映画は撮影された筈だ。しかし、気持ちとは別の要因が揃い、観客の中に新しいイメージが強固に植え込まれた。強烈なイメージは後々も尾を引き、本人たちでさえその尋常ならざるレベルのキャラクターを受け入れるに至るのである。
こうして名実ともに公式も認めるゾウ大好き青年は誕生し、広く親しまれ、後々の彼らの映画やCMの仕事にも影響を与えていくこととなる。
トム・ヤム・クン!という映画の影響力の高さは、アクションだけでなく、ゾウによっても立証されるのだ。
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