なんだかんだ、空戦の映画 - スカイクロラ - The Sky Crawlersの感想

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スカイクロラ - The Sky Crawlers

3.753.75
映像
5.00
脚本
4.50
キャスト
3.25
音楽
4.75
演出
4.25
感想数
2
観た人
5

なんだかんだ、空戦の映画

4.04.0
映像
5.0
脚本
4.0
キャスト
3.5
音楽
5.0
演出
4.0

目次

原作とは似ているようで……

本映画のシナリオは、概ね原作小説に沿って作られている。草薙水素だとかジンロウだとか、監督の過去作と関係ありそうな人名が多いため、オリジナルかと勘違いしそうなるが、それは単なる偶然。ちゃんと原作があるのである。かつ、映画から原作に入った人は、「あぁ、大体同じだな」と思えるくらいに、本映画は綺麗にまとまっている。終盤に関してはまるで違うが、それも理解のできる改変だったと思う。しかし、原作小説シリーズでいうところの「スカイ・クロラ」と「ナ・バ・テア」の内容だけで作られている本映画は、シナリオは忠実ながら、内容という点に置いては原作とは完全な別物であると言って差し支えがないほどに、世界感が違っている。おかしな話だが、なにぶん小説の方は話がかなり複雑で、まず筋を理解するのが難しいほどなのだ。映画と原作の内容の違いを生んだ原因は、間違いなく三ツ矢氏の転生論。あれのおかげで、映画のストーリーは栗田=函南説が主軸となったわけなのだが、原作においてあれは与太話であるのだからやりきれない。おそらく映画しか見ていない人は、非キルドレ化を引き起こす要因だとか偽草薙だとかと言ってもまるでピンと来ないだろうと思う。原作はそういう話なのだ。それに比べ本映画は、とりあえずは見たままの内容であると言える。無論、それはそれでよいことである。本映画は原作の一部を使って、押井監督が押井監督流に表現した完全な別物であるのは間違いない。原作の単純な映画化を望んだ人的には満足の行くものではないかもしれないが、これはこれでアリだろう。というわけでここからは、原作のことも念頭に入れつつ映画としての「スカイ・クロラ」を考えてみよう。

卓越した映像デザイン

世界に誇るアニメ監督押井守、映像面に関してはやはり、流石のひとこと。これは迫力があるとか、空戦シーンがどうとか、そういうことではない。いや、もちろん単純な迫力もモノ凄いのだが……ここで言いたいのは、この映画におけるデザインとしての映像である。主人公たちがティーンエイジャーのまま時の止まったキルドレであること、つまり子供であることを強調するために、一つ一つの家具があえて大きく作られているとか、そういうところである。映像デザインの教材としては、スカイ・クロラはおそらくうってつけの映画だと思う。映像作品というのは、ただ漠然と、オリジナルをデザインすればいいわけではない。映像をもってテーマを伝えたいのならば、一つ一つのデザインコンセプトというのはある意味、セリフより重要なものなのだ。この映画内における工夫の凝らされたデザインというのは、枚挙に暇がない。テーマ自体への意見は人によりけりだろうが、少なくともテーマ表現のための技法に関しては恐ろしく秀逸であることを否定する人はいないだろう。その中でも最もレベルが高いのは、やはり戦闘機のデザインだ。散香のデザインは、主人公が乗る機体はシンプルであるべきという監督のコンセプトから生まれている。その目論見通り、散香は見事にこの世界観でのスタンダードを作り上げているのがわかるだろう。ここで無駄にオリジナリティを出そうものなら、映像としてクドくなってしまっていたことは想像に難くない。それとは反対に、ガチガチに怪物的なティーチャーの機体、スカイリィ。作中唯一のトラクタ機体(プロペラが前にあるタイプ)であるスカイリィは、ティーチャーが乗る一機体のみしか登場しない、まさにラズボスである。あまりに派手すぎるため、最初はデザイン班からの評判は悪かったそうだが、映像を見れば派手さにこだわった意味もわかろうものだ。ティーチャーという怪物の迫力は、あの機体なくしてありえない。ちなみに筆者的に一番痺れたデザインコンセプトは、実は地上の乗り物である。思い出せば、主人公たちが乗った車というのは、どれもオープンカーであり、空に向かって解放されている。バイクも、然りだろう。それに比べて、自由に空を舞うはずの戦闘機のコクピットの狭さはどうだろう。まさしく、棺桶である。この対比の見事さには、諸手を挙げて降参である。

ロケーションについて

原作と映画の一番の違いは、ロケーションである。アニメにロケーションっていうのも変な話だが……原作は、純度100パーセントで日本が舞台である。対して映画では、舞台はあからさまに北欧だ。なぜ、監督は北欧を舞台に選んだのか。空が綺麗?景色が素敵?確かにそれも一理ある。だが、何よりも大きな理由は、やはりキルドレのアウェイ感を出すためだと筆者は思う。キルドレというのは、特殊な人間であり、他者とのつながりが希薄であると原作ではくり返し述べられているのだが、おそらくはその表現の方法として異国を舞台とする決断を下したのだと思う。この発想の飛躍は、かなり大胆と言えるだろう。この発想が、本映画で押井監督が下した最大の決断だと思えるくらいに、抜きん出たポイントである。笹倉の性別を変えたことよりも、大きな改変である。この違いのせいで、シナリオはほとんど一緒な両作が、まるで別物のように感じてしまえるのだ。この点に関しては、日本が舞台のバージョンも見たかった気がするというのが、正直なところ。しかし、映画単体で見るならば欧州バージョンのほうがいいだろうとも思う。なんとも惜しい気分だ。

いつも通る道

まず、余談気味ではあるが……本作では、キルドレのキャストは本業の声優ではなく、役者だというのは有名な話。その狙いは、ざっくり言ってしまえば「異物感」を出そうということなのだが、概ね成功はしている。しているが、やや聞き取りにくいのは否めない。おかげで空戦シーンが英語なため、字幕が助かるなんていうのはまぁ、置いておいてだ。本作を語る上で避けて通れないあのセリフについて考えてみよう。そう、「いつも通る道うんぬん」である。このセリフ、原作中にも登場するのだが、出てくる場面は全然違う。細かくは原作参照だが、これ、そんなに重要なセリフではなかったのである。そう、本作は映画と小説とでテーマからして全然違うのだ。で、変なことを聞くが、このセリフ、意味がわかるだろうか?いや、もちろん日本語としての意味は伝わって来るけれど、どうにもしっくりとこない気がするのも否めない人、多かったのではないか。「それだけのことではいけないのか」まではわかるだろう。繰り返される日常の中の、ちょっとずつの違いで満足ができないのかという問いかけだというのはわかる。「それだけのことだからいけないのか」……問題はこっち。初見だと「?」な気分になってしまうこと請け合いだ。筆者はポカンとしてしまった。理由は簡単、あんまり話を理解していなかったから。だってほかのセリフが聞き取りにくかったんだもの。まぁ、あえて解釈を入れるならば、なんのことはない。繰り返しの日常にも違いはあって、それを楽しんでいくこともできるけど、それではもっと、大きな何かが変わらない、このままではいけないって、思えなくなってしまう……それを打破したくて、無謀にも大きなもの(この映画ではティーチャー)に挑んでみるというのは、まぁ、しっくりとまではこなくとも、わかる話だ。ただ、セリフが格好つけすぎて、わかりにくくなってしまっている気がしないでもない。この言い回しは、深い意味があるというより、そのように見せる言葉遊びに近い気がする。原作での使われ方はその程度でもよかったのだが、あんな大詰めの見せ場に持ってきちゃうと、どうにも「?」ってなる。演出というのは厄介なもので、どんなくだらないセリフでも、音楽と映像を合わせれば凄い立派なこと言ってるみたいになる。千年女優はその典型だったと、筆者は思っていたりする。で、このセリフなんだが、まぁくだらないとは言わないまでも、やっぱり大したことは言っていない。そんなものを、ちゃんと考察しなきゃわからないセリフに当てるのは、イマイチな演出だったと言わざるをえないだろう。

そもそものテーマ

なんだか話が偉そうな方向に流れてきているが、まあ考察とはそういうものと割り切ろう。で、結局この映画が何を言いたかったのかを考えてみると、どうしたって「だからなに?」と言いたくなるような内容だったと振り返らざるをえないと思う。監督曰く、若い人たちへ伝えたいことだそうだが……この人、恋愛の究極とは相手を殺すこととか言っちゃう御仁である。こら参った。また、筆者的に、明らかに手を誤ったと思えるのは、最強の敵を「父親」としてデザインしてしまったことだと思う。今の若い世代に発信していると言っておいて、父親を超えなければいけない対象にするのは、どうだろうか。母子家庭も増えている昨今、父が偉大という時代でもないだろう。それに、一家の稼ぎ手という意味の大きさは、働いてみないとわからない話でもある。それをティーンエイジャーに向けて発信してどうするのか。結局自分の時代の価値観で話を構成してしまっているではないか。それでは何も伝わらない。テーマを伝えるためのデザインは秀逸そのものだけに……なんとも言えない。原作は、こういう話ではないのだ。もっと、その場にいるキルドレ個人にスポットが当てられている。若い人には、そのほうが届くだろう。この映画のテーマに関しては、なんだかんだ偉そうな視点で聞こえのいい言葉を使っただけだった気がするというのが、正直な筆者の考察である。まぁ、映像美は半端ないので、何度も見返しているのだが……そう、映画って、結局テーマなんてどうでもいいものである。この映画は見た目ほど深い映画ではないが、アニメーション好きには堪らない映像作品というのが、結局の結論。いい映画なのは間違いないが。

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他のレビュアーの感想・評価

素晴らしい映像美

BADポイント一般受けはしないと思います。ヘタすれば謎が多すぎて分かりづらいがために逆にアンチがつくでしょう。(私は好きですが。)メインヒロインである草薙水素の名前が草薙素子(攻殻機動隊の主人公ヒロイン)っぽい。髪の毛が短く、強気な女性が好きな押井監督らしいといえばらしいです。ですが、(発言は似ていなくても)名前まで似せなくても良かったのではないかと思います。メインヒロインの水素の声が菊地凛子さんだったこと。押井監督が菊池さんが好きなことはうっすら理解していますが、声を荒げるシーンの違和感や、端々に出てくる棒読み感はかなりの違和感を覚えます。途中で出てきた女の子パイロット、三ツ矢の声が良かっただけに菊池さんの演技の浮き具合は際立ちました。これはいろんな人が言われることですが、今までのオープニング音楽からすべての音楽が幻想的な曲であったのにいきなりエンディングで絢香さんが担当したこと。勘違い...この感想を読む

3.53.5
  • 藤崎藤崎
  • 119view
  • 1804文字
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