カメラを持ったメリー・ポピンズ - ヴィヴィアン・マイヤーを探しての感想

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カメラを持ったメリー・ポピンズ

4.04.0
映像
4.0
脚本
3.0
キャスト
3.0
音楽
3.0
演出
3.0

目次

始めに

小説、映画、音楽。世に数多ある芸術作品を語る時、事前に作者の背景を知ってしまうと不要なバイアスがかかり、本質を掴めない事が往々にしてある。メロディの素晴らしさよりも曲名が麻薬の暗喩である事の方が話題になったり、塗りの技法よりも当時の作者の精神状態が取り沙汰されたり。いつの頃も、私達は何かと必要以上に画面から「作者の意図」を探してしまう。
彼女の写真を集めた「Street Photographer」の場合も同様だ。この写真集は少しばかり特殊な出自の元に生まれたが、その事に目を向ける必要もなければ究極、この映画を観て「彼女」の事を知る必要もない。ただ本屋に行き、写真集を手に取ってページをめくるだけで充分だ。

生い立ち

「彼女」については多くが謎に包まれている。彼女=ヴィヴィアン・マイヤーは 1926 年、ニューヨークに生まれた。母方の生地であるフランスとアメリカを行 き来した後、1951 年ニューヨークに戻る。その後およそ40年に渡りナニー(いわゆるベビー・シッター)の仕事をしながら、時間を作りニューヨーク、シカゴ、フランス等でシャッターを切っていた。2009 年に亡くなるまで一度も結婚せず、 特別親しい友人もいなかった事から、ごく一部の彼女を知る人間からは偏屈な 人と見られていた。一方で彼女の「子供たち」からは少しばかり変わった、でも 優しいおばさんと映っていたようだ。後年彼女が生活に困窮していた時に資金の援助をしていた事からもそれは窺える。ただ、そんな子供たちも彼女が生涯15万点にも上る写真を残していた事は彼女が亡くなってから初めて知った事実だった。

発見者マルーフ

2007 年のある日の事。田舎のオークション会場で一人の⻘年が暇を潰していた。 ⻘年の名前はジョン・マルーフ。不動産の仕事をしていて、掘り出し物を探して いたのだ。マルーフは何時間かぶらついた後、古いアメリカを写したネガを見つけ、趣味で書いている本の資料になればと買う事にした。マルーフは持ち帰った ネガをじっくりと見ていると、どれも素晴らしい出来である様に思えた。ただ、写真については明るくなかった為、ネットに上げて反応を確かめる事にした。その結果、驚く程の反響があり、簡易にまとめた写真集も飛ぶ様に売れた。これを撮った人物は一体誰だろう?マルーフは写真を撮った主を探す事にした。ネットや人海を介して写真の主であるヴィヴィアン・マイヤーを探し当てた時には、 既にマイヤーは亡くなった後だった。マルーフがネガを見つけてから2年が経っていた。

出版、そして

マルーフはネットに上げた反応から、自分の想像する以上にマイヤーの写真には価値があると思うようになっていた。ロバート・フランクやダイアン・アーバスといった20世紀を代表する写真家に並ぶ写真家とまで言われたのだ。次第にマルーフは彼女についてもっと知る必要があると考える様になり、それは本編に結実する事になる。100人を超える人たちのインタビューからは、彼女の知られざる一面が浮き彫りになった。彼女が世話をしていた子供達への暴力。ゴミ箱の中を撮影する姿。殺人事件の現場へ足を運び捜査の真似事をしてみたり。しかし、家族も親しい友人も持たないヴィヴィアン・マイヤーの事を知っているという事は、同時に彼女のごく一面しか知られていない事を意味する。そして、その情報の危うさも。やはり、インタビューの内容は彼女についての憶測や伝聞の域を出ない物が多かった。しかし、その結果分かった事もあった。それは、マイヤーを知っている人達の中には彼女が「写真家」だった事を知っている人は殆どいないという事だった。

写真家としてのヴィヴィアン・マイヤー

ここで一旦映画から離れて傍にある「Street Photographer」を見てみよう。ページを捲ると目に飛び込んでくるのは 1960年代初頭のアメリカの風景。ベトナム戦争を間近に控え、ケネディ暗殺や貧困層の問題も大きくなってきた時代だ。それ故、どこか煤けた雰囲気での撮影が多い。使用カメラはローライフレックス。今でいう「ましかく写真」で構成されている。この頃はまだカラーフィルムは普及しておらず、「Street Photographer」も当然モノクロだ(彼女のカラー作品を見るにはこれから10年程待たなければならない)。ここで驚くのがまず、どの写真も現代に比べてみても非常にシャープに仕上がっている事。理由として はローライフレックスが中型のサイズであった事と、今の技術のプリントで仕上がった事も大きいだろう。だが、それ以上に特筆するべきは彼女の腕である事は相違ない。全ページピントのブレはなく、構成もしっかりと決まっている。ネガを分類している内に分かった事だが、彼女は同じ場所で2回以上写真を撮る事が殆どなかったという。それでいてこの精度は驚かざるを得ない。

カメラの見つめる先は

労働者階級の人々、老人、子供、黑人、ホームレス (時には死体も!)。当時のいわゆる社会的弱者を多く撮影しているのが見て取れる。一部ではそうした姿勢を弱者に向ける彼女の優しい眼差しであるとか、それをモチーフとして選んだ彼女は社会派だと賞賛される向きがあるが、個人的には異を唱えたい。日本の写真家であるハービー・山口は人物の写真を撮る際に、頭上に空間を意識するという。「何故ならそこに希望があるから。」と。ヴィヴィアン・マイヤーの写真も同じだ。ベビーシッターという恐らくは豊かではない懐事情の中、動ける狭い生活圏の中にそれでもどこかに希望を探して歩いていたのではないか。人物、風景。どれも抜群の構図、ブレのないタイミングで写されたそれは、社会的弱者に寄るというメッセージ性よりもその被写体の魅力 を前面に引き出し、暗くなるのが当たり前のモチーフでありながらも、一枚の芸術作品として見事に昇華されている。ヴィヴィアン・マイヤーの発見者であるジ ョン・マルーフは言う。「彼女はどんな時にでもただ自由に写真を撮っていたかったんだ。」

終わりに

自分が取りたい時にただシャッターを押す。その繰り返しの中の一つがこの「Street Photographer」だった。彼女は誰よりも自分本位で、それでいてとびきり腕っこきの、誰よりも自由な写真家だったのだ。この映画が公開されてからも彼女の研究は進み、また新たなる真実が見つかっている事だろう。その時をまた楽しみに待ちたい。

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