ドラマ「銭ゲバ」を観て
貧しさで人生を狂わせた風太郎の生い立ち
日テレドラマ「銭ゲバ」は毎回心締め付けられるドラマでした。主人公・蒲郡風太郎(がまごおりふうたろう)は風太郎を愛してくれる母と極貧生活の中でも幸せに暮らしていました。
小学校5年生の風太郎は「貧しくて一生懸命頑張れば必ず幸せになる」という母親の教えを信じていました。しかし病弱な母親は薬を買う事も出来ず貧しさの中死んでいきます。風太郎は幼くしてお金の力を知ります。
生きて行くために必要なお金が無いと心に余裕は生まれません。自分の事だけに精いっぱいで周囲の人に対しての思いやりの気持ちが生まれづらいです。頼れる人の居ない風太郎がお金だけに執着していくのは仕方がない事に思えます。
風太郎は美しいものが好きです。美しい心にも憧れています。もし風太郎の左目にろくでなしの父親(椎名桔平)から受けた醜い傷が無ければ、世間から怖い外見だけで判断されず、元々の心優しい・美しい心の風太郎のままで成長出来たのでは?と、つい考えてしまいます。
「銭ゲバ」を観ていると貧しさは貧しさを生み、憎しみは憎しみを生むというこの世の何ともしがたい悲しい連鎖を感じ切なくなります。大人になった風太郎(松山ケンイチ)は母の命を奪い、自分の運命も変えたお金を憎みながらも支配されています。
心の底では愛を信じたかった風太郎が善人を試す
風太郎は傷を持った醜い顔の自分を愛することは出来ず、同じように顔にあざを持った茜(木南晴夏)に同情することなく利用しようと考え、茜の美しい姉・緑(ミムラ)に惹かれます。自分が醜いからこそ、醜いものを嫌い、美しいものに憧れる気持ちが強くなったように思います。
風太郎は世の中全てお金だと思いながらも、心の底では愛を求めている自分に気が付いていたと思います。行きつけの定食屋『伊豆屋』の人たちは「大切なのはお金ではなく心だ」と考えている心底お人好しな人たちです。『伊豆屋』の人たちは、由香の兄で出来の悪い野々村真一(松山ケンイチが二役で登場)を暖かい気持ちで見守っています。
真一を二役で演じている時の松山ケンイチさんは暗く疑り深く、野心丸出しの風太郎とは別人のように明るく楽しそうに演じています。「銭ゲバ」の風太郎を演じて来て松山ケンイチさん自身も、風太郎の暗さに少し疲れているのでは無いでしょうか?真一というノー天気のキャラクターを演じるのがとても嬉しく楽しかったのでは無いでしょうか?そう思えるくらいに顔は同じでも二人は別人に見えました。
風太郎は自分の過ごしてきた人生で結論を出した「世の中は金が全てだ」という信念に真っ向から歯向かうように生きている定食屋『伊豆屋』の人たちに対し、大きい憧れを抱きながらも自分の生き方を否定されているようで許せなかったのだと思います。
「銭ゲバ」に登場する人たちに真の悪者は居ません。ろくでなしの父親も失業した事から抜け出せない暴力をふるう弱い人間ですが風太郎に優しい父だった時も有りました。100%悪い人は居ないはずなのに人を傷つけ、自分自身も傷ついて行きます。人間は面倒でややこしい動物です。もっと単純で分かりやすい生き物だったら、悩みや苦しみも少なくなり人生を楽しく過ごせるのでは?と思います。
印象深いシーン
「銭ゲバ」で印象深いシーンが多数あります。一つは定食屋『伊豆屋』でのシーン。風太郎が工場で助けた青年(柄本時生)と再会し、二人の生い立ちが似ている事を知り友情が芽生えます。青年は死ぬことを決めていて心惹かれた風太郎の願い(義父を殺害する事)を叶えます。
義父(山本圭)は、定食屋で風太郎を気に入り息子のように思っている事を話した後に青年に射殺されます。そして2発目の発砲音は青年が自殺した時の音です。この時の風太郎の表情から生涯で初めてできた親友を自分の手によって殺したような悔いを感じとる事が出来ました。
「銭ゲバ」には幸せの象徴のようなお菓子のマカロンが2度登場します。一度目は子供のころ、金持ちの家で出されたマカロンの美味しさに感激し母のために黙って持ち帰ろうとした時に泥棒呼ばわりされた悲しく、恥ずかしい思い出のマカロン。
2度目はマカロンがタワーのように張り付けられた豪華なケーキを一口食べては捨て、また一口食べては・・・。昔の自分からは想像できない有り余るお金の中にいる風太郎ですが決して幸せでない事が一筋の涙から推測できます。この時少年時代の惨めさ口惜しさ、母に食べさせてあげられなかった悲しさなどが溢れたのではないでしょうか?
そして風太郎が気がふれてしまった緑の口に無理やりマカロンを入れようとした時、手を振り払われて拒絶されます。緑の行動に呆然とした風太郎の表情が素晴らしかったです。言葉ではなく表情と目の動きで表現する松山ケンイチさんの演技に感心させられました。
ドラマをスリリングにしたのは、弟を風太郎に殺されたのではないかと疑い、執念深く風太郎を追いかける荻野刑事(宮川大輔)の存在です。風太郎の悪事を暴くのはこの刑事しかいないように思っていました。そして何者かの通報で警察によって行われた三國邸の庭の発掘作業シーンは手に汗握りました。白川の死体が発見されたら何もかも明らかになるという場面はドキドキしてしまい、見つからないことを祈っていました。
こんなに次の展開が気になり、心揺さぶられるドラマ「銭ゲバ」の視聴率が今一つ振るわなかったのが残念ですが、やはり私もそうだったように重いテーマだったために、心が締め付けられ苦しくなってしまい次を見ることが出来なかったのでしょうか?
「銭ゲバ」の意味
作者のジョージ秋山さんは、「銭ゲバ」という意味は作品の中では「お金のためなら何でもする人間」と説明されています。ゲバはドイツ語の暴力行為「ゲバルト」を略した言葉です。学生運動が激しかった頃の日本でも政治運動に参加していた学生が隠語で国に対して戦うことをゲバと言い、「内ゲバ」という言葉も有りました。
異なる最終回を考えてみました
風太郎は世の中全て金だという価値観で殺人まで犯し、世の中はお金だけではないと思っている周囲の人たちを否定します。定食屋『伊豆屋』の人たち、風太郎から奥さんの手術費を受け取り警察を退職した荻野刑事などです。でも風太郎の心の奥では、お金で信念を覆さないで居てほしかったのでは無いでしょうか?風太郎は本当の悪人になりきれなかったから自らの命を絶ったように思います。
最終回で風太郎は命を絶ちますが、せっかく殺人を犯してまで、お金に執着しやっと手に入れたので、出来るならもう少し生き抜いて欲しかったです。
そこで私なりに最終回を考えてみました。地位もお金も手に入れた風太郎は空虚な心を奥に秘めながらも、今までに無い心の余裕ができます。そんな時、自分の少年時代に重なるような生活をしている暗い目をした少年に出会います。風太郎は札束の入っている財布から10万円を抜き取り少年に渡し、その場から立ち去ります。暗い目をした少年は後を追いかけ後ろからナイフで風太郎を刺し、札束の入っていた財布を持って逃げて行きます。風太郎は遠のく意識の中で逃げて行く少年を見ながら少しだけ微笑んで命絶えます。この方が風太郎らしい死に方のような気がしますがどうでしょうか?
増える風太郎
日本は今、かつて無い程の格差社会に進んでいると言われています。セキュリティーシステムの無い安アパートで暮らしている部屋に泥棒が入り、なけなしの現金を奪い、運が悪ければ命まで奪います。貧しさや不幸は連鎖するのです。
トップの大学に進学できた若者たちの殆んどの親たちは高学歴、高収入で、彼らの子供たちは幼いころからお金をかけ塾通いをしていると聞きます。今、風太郎のような子供が多く育っているような気がします。自分の周囲が皆、貧しい時代には風太郎は育たず、今のような格差社会に風太郎が多く現れるのではないでしょうか?
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