実は主人公と宮ノ杜兄弟との対立構造ではない!
主人公の人物像
当作品の主人公は、驚くほど特徴のない人物像といえるのではないでしょうか。
体型やスタイルを強調する外見でもなければ、髪の色も黒く、極めてナチュナルな存在です。どちらかというと、目立つ派手な外見というより、地味さが強調されたキャラクターデザインが成されているのです。
しかし、制作された背景を考えてみれば、それも当然だと考えることができます。
当OVA作品は、女性向けの恋愛シュミレーションゲームを題材として、OVA化されたものです。よって、意図的に、主人公に特徴を設けずにプレイする女性ユーザーが感情移入しやすい脚本になっているのだと考えると自然なのです。
現にゲームにおいては、主人公「はな」の存在を、ユーザーの好きな名前に設定できるようです。主人公に、自分自身の名前を当てはめることで、自分自身がゲームの主人公になれるような仕掛け作りがされているのです。流石に当OVA作品では、自分自身の名前を主人公に当てはめることはできません。
しかし、その方向性は、OVA化された当作品にも踏襲されているといえるのです。
また、当OVA作品は、起源である恋愛シュミレーションゲームをされたユーザー向けに制作されたファンディスクという位置付けで発売されています。そのことから、起源であるゲーム媒体を忠実に再現した作品だと考えることができます。
ただ、主人公「はな」の人物像に言及するのであれば、唯一の個性として、仕事と私生活の分別がつけられないという点が挙げられるのではないでしょうか。
そして、そのことが結果的にプラス作用として働き、物語が組み立てられています。
宮ノ杜兄弟の考察
お金持ちの宮ノ杜家を背景にしながら、モチーフとしているのは、シンデレラストーリーだと考えられます。
田舎で貧乏暮ししていた主人公「はな」が、宮ノ杜家という貴族宅で家政婦として勤める展開はシンデレラストーリーといっても過言ではないでしょう。シンデレラと違うのは、王子様は一人ではなく、兄弟を描くことで、王子様を複数名で構成していることだと考えられます。
また、兄弟の個性をバラバラにすることで、意図的に、それぞれの個性を際立たせています。
年齢設定すらも、主人公「はな」より年上も居れば、年下も居て、幅広く設定されているのです。
主人公「はな」に感情移入した視聴者は、シンデレラと違い、選択肢を与えられることになるのではないでしょうか。視聴者それぞれにより、好みとする男性像は違うことでしょう。しかし、王子を複数名に設定することで、それぞれの視聴者の好みに合わせられる作品づくりがされているのです。
そして、現実社会の女性においても、年上の落ち着いた男性を好む方もいれば、年下の可愛い男性を好む方もいるでしょう。そんな、それぞれの女性視聴者の好みを反映できるような設定が成されているのです。
そして、主人公「はな」と特定兄弟の間に恋愛要素が描かれていないことも、その表れだと考えられます。
それぞれの視聴者が、好きな兄弟とは違う人物との恋愛感情に発展した場合、視聴者としては、期待外れや裏切られた気分になることでしょう。物語展開に夢見ていた気持ちを、一気に現実に呼び覚ましてしまうのです。主人公が兄弟のうち、一人を選ぶことで、選ばれた兄弟が好みだった視聴者は報われるのかもしれません。
しかし、残りの5人が好きだった視聴者にとっては残念な展開だといえるのです。
そのことから、主人公「はな」と結ばれる兄弟を明確に特定してしまうことで、報われる視聴者より、残念に感じる視聴者の方が多いと考えられるのです。
投げっ放しの布石
宮ノ杜家の当主が、兄弟のうちで誰になるのか、その結末はOVA本編では語られませんでした。
物語の中でとても重要だと思われることが投げっ放しとなり、そのまま物語が締め括られているのです。そのことから、意図的に結末を描かず、起源であるゲームに誘導する為に制作された作品なのだと考えていました。
しかし、前述しているように、当OVA作品は起源であるゲームのファンディスクとして制作されているのです。
その考え方が誤りであることを証明している事実といえます。宮ノ杜家の当主が誰になるのかが描かれなかった事実から考えられるのは、物語本編において、その展開が重要ではないと考えた方が自然なのではないでしょか。前項「宮ノ杜兄弟の考察」でも述べているように、主人公「はな」は、意図的に誰かと結ばれるような展開がされていないのです。
すなわち、宮ノ杜家の当主においても、誰がなるのか、重要視されていないと考えられます。
また、兄弟の口から、宮ノ杜家の当主の座に興味がないことも語られていました。なにより、宮ノ杜家の当主の立場を兄弟たちが競う場面が一切ないことも、その事実を物語っていると考えられます。
主人公と対称的な存在
宮ノ杜家の当主である玄一郎から、兄弟の中から当主を選び、遺産の全てを譲り渡すことが語られていました。そして、そのことから、競い合う兄弟の姿が見たいと発言していました。しかし、OVA本編では競い合う兄弟の姿が描かれることがありませんでした。
むしろ、宮ノ杜兄弟に焦点を当てるなら、主人公「はな」の周りに集まってくる印象が強いのではないでしょうか。
兄弟のそれぞれが主人公「はな」を気にしており、口では言いたい放題であっても、心配している様子の方が強いのです。主人公「はな」は、兄弟たちをまとめる位置付けだと捉えられるのです。
本編の中で対立構造があったわけではありませんが、宮ノ杜家の当主である玄一郎と、主人公「はな」は対称的な立ち位置だったと考えられます。
そこから考えられることは、宮ノ杜家の当主である玄一郎の発言は、主人公「はな」の周りに集まる兄弟の姿を強調したかったのでないかということです。
そして、玄一郎が本当に当主の座を競う兄弟の姿を見たいのであれば、主人公「はな」の存在は邪魔になることでしょう。本気で兄弟たちを競わせたいのであれば、当主の座には主人公「はな」と結婚できる権利を添えるべきと考えられるのです。
このような展開は想像できるものではないし、きっと、そういう展開にはならないでしょう。
ただ、対称的な存在として、当主の玄一郎と主人公「はな」の存在があり、兄弟たちがどのような行動をとるのか、という見方ができると考えられます。
そして、表面化はしないまでも、当主の玄一郎と、主人公「はな」の対立構造と解釈することができるのです。
兄弟たちの変化について
この作品の重要な肝となる部分は、それぞれの兄弟たちの変化だといえるでしょう。
主人公「はな」と接することで、兄弟の全員が、それぞれ変化を見せています。そして、それとは裏腹に、主人公「はる」は物語冒頭から最後まで、変化していないと捉えることもできます。
すなわち、主人公「はな」を中心に据え、兄弟たちの変化を描いている部分が強いと考えることができます。
例えば、北極星である「はな」の周りを回る星のような存在なのが、宮ノ杜兄弟だと考えることができるのです。そして、それは宮ノ杜兄弟だけに限った話ではないのかもしれません。
ひょっとしたら、宮ノ杜家の当主である玄一郎ですら同様のことがいえます。
物語の先のことを考えるなら、主人公「はな」の争奪戦に、玄一郎が加わる展開だって想像できるのです。これだけ、結婚・離婚を繰り返しながら、異母兄弟を次々と生んだのが、玄一郎という存在です。それだけの精力を兼ね備えた存在だといえるのかもしれません。
そして、宮ノ杜家の財産を受け継ぐのは、主人公「はな」の存在なのかもしれません。
「はな」の選んだ兄弟の誰かが、宮ノ杜家の当主となれば、それぞれの元奥さまとの約束も守られることになります。物語の結末から、さらに色んな想像ができて、語られていないところで物語が膨らんでいきます。
こういった部分も、当作品の楽しみ方だと考えることができます。
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