フォーエバー、ねこぢる。
目次
世が世なら、ねこぢるは、リサ・ラーソンになっていたのかな。
単純な線で描かれる、猫たち。急逝したねこぢるは、長生きしてたら、もしかしたらリサ・ラーソンとか、ディック・ブルーナみたいになってたのかな、あ、か~なり草間弥生寄りの・・・・。にゃん太やにゃーこ、じじいやおとーちゃんの、オブジェ。弁当箱。メモパッド・・・・。ほしいか?いや、いらん。当時は、ガチャポンとかの景品になってたような覚えもあるけど。・・・いらんわ~。リサの猫マイキーやディックブルーナのミッフィーたちには、1個の表情しかない。それは見る者への余白だ。しかし、愛くるしい。くそかわいい。反対に、ねこぢるの猫たちは、まさに猫の目のように、くるっくると表情を変える。まるで昔の子供のように、きゅっとしゃがんでぱんつ見せちゃう。クールな顔して、人間顔負けの残忍なことをやっちまう。ひとことでかわいいとは言いたくない、狂気に満ちた猫たちのノスタルジーあふれる物語に、心はハートウォーミングどころか、心半分、消えてなくなってしまうような、妙な喪失感を味わうはめになる。
ねこもヤバいが、出てくる人間はもっとヤバイ・・・・。
脳みそがぐにゃりとするような、スッパイ人間ばかりが描かれている。脳みそも心もスピリットも、80%以上どっかに置き忘れたか、ぐにゃりと握りつぶされたかのような人、神、その他。動物以外の登場人物たちには、反面、表情がない。表情が描かれていない。怖いわー。ほんま、もう恐怖。でも、何か語りかけてくるのよね、でも引きずられちゃ、いけないよ。魂もってかれちゃうよ。そんなこんなで、ねこぢるは、魂持っていかれちゃったのかな。。。悲しいね。でもその悲しさは、なぜか不思議と乾いてるのだ。
ねこぢる最後の作品は、夫で漫画家の山野一が担当。でも何かが違う。それを自分の目で、脳みそで、確かめて!
ねこぢるが見たという夢メモをもとに書き上げられた最後の作品「とうめい」。その説明を知らなくても、テイストの違いを不思議と脳が認識する。ねこぢるワールドは、やはりねこぢる唯一のものだ、と最後の最後に、悲しく実感させられてしまう。これを才能というのか、触れてはならない狂気というのか。何年たっても色あせない作品は、いつまでたっても読む者に、ゆーモアと漠然とした不安をもたらす。そう、子供には絶対に読ませたくない。もちろん、妊婦さんにも。・・・なんだけど、なぜかときどき思い出す。また手にとってみたくなる。そして、いや~な気持ちになる。ねこぢるの魔の手は、うどんのようにのびやかに、だらんだらんと、読者に迫りくる。いつまでも、いつまでも・・・・・。あ、二巻の帯に「hyde絶賛!」と書いてある。ひとつの時代の象徴か・・・。
- あなたも感想を書いてみませんか?
- レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。 - 会員登録して感想を書く(無料)