耽美な映像に隠された、少女たちの真実は
ただの耽美作品なんて言わないで
『エコール』を見終わった人はまず思うだろう。
これは何がいいたいのか?と
そして、すこし映画を見慣れている人はこういうかもしれない
フランス映画らしい、難解な作品だ。と
森の中、美しい6歳から12歳までの少女たちが、共同生活を送る姿をひたすらに描いていくこの作品
お揃いの服に、かわいらしいリボン、ダンスの練習に、玉乗り・・・
何も考えずにこの世界観にどっぷりと浸って、怪しい、そして美しい空気を胸いっぱいに吸い込むのもそれはそれでこの作品の楽しみ方の一つであると思うが
この作品を単に難解で耽美な作品だと一蹴してしまっては、本当に面白いところは味わえない。
作品の背景を知る
この映画を理解するにはまず、原作について触れなければならない。
原作は1903年にドイツ人作家が発表した『ミネハハ』である。原作でも設定は同じく、少女たちの謎めいた共同生活が描かれたものだ。
驚いたことに、この前衛的ともいえる作品の原作は100年以上も前に書かれたということになる。
当時のドイツでは自然主義文学と言われる「真実を描くためにあらゆる美化を否定する」作風が流行っていた。
この原作者の本業は劇作家だったのだが『エコール』を見た人はご存知の通り、自然主義とは真っ向反対の作風だったため、上演が遅れさせられたり、出版物をなかなか刷ってもらえなかったりした。
生まれるのが早すぎたというのはこういう人をいうんでしょうね。
しかし、ちょっと流行りの作風ではなかったというだけで上演遅れさせられたりするか?という疑問が残る。
それにはちょっとしたわけがあった。
この原作者は演劇で当時の規範から逸脱した女性を描き、資産階級を批判しまくり、資産家から嫌われていた。
当時の資産階級は貴族に変わる支配階級といっていいほど力があったので、演劇や本なんて簡単につぶせる力があった。こわいこわい。
こんな、ちょっと息苦しい時代に支配階級を批判するために書かれたのが『エコール』だった。
エコールの真実
『エコール』で何をどのように、支配階級を批判しているのか?
思い出してみてほしい、唯一の外部との接触として、バレエの発表会のときに外部から客がやってくるというシステムを。
現在ではバレエというと、「お嬢さまのたしなみ」といった印象があるが、原作が描かれた当時はそうではない。
19世紀半ば、バレエの踊り子たちはほとんどが貧しい家の出身で、生きていくためにバレエを踊るしかないという人が多かった。そのため、パトロンが出資しなければ彼女たちは踊ることができなかった。
誤解をはばからずに言えば当時のバレエには資産階級のための娼館のような役割もあったといえる。バレエの暗黒時代だ。
少女たちは常に、支配階級のパトロンたちに値踏みされていたわけだ。
これを証明するよい例が絵画にもある。ドガの「舞台の踊り子」だ。
かなり有名な絵画なので一度は見たことがあると思う。
向かって右手前に手を大きく広げた美しいバレエの踊り子がいて、奥には舞台装置の背景ようなものが見える。
この背景の間から燕尾服を来た男性がちらりと見える。これが踊り子を品定めしているパトロンだといわれている。
それまでの長い間芸術として多くの人が磨き上げてきたバレエを、支配階級はあっという間に娼館に作りかえてしまったのだ。
ここまで作品が作られた背景を考えてみると『エコール』は少女を描いた耽美作品ではなく、支配階級への批判を描いた結構骨太な作品だと言えないだろうか。
何もわからない少女たちにバレエを教えていたのは誰か、バレエの発表会といってお客が来るのはなぜか、そこを出た後少女たちはどうなるのか、もう一度映画を見直すと背筋がぞっとすると思う。
そして、それはなにも100年前だけの話ではない。
現代でも、わけもわからず舞台に上がっていく少女たちは引きも切らないのだから。
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