映画「瀬戸内海賊物語」の中で村上水軍の財宝が見つかったのはのどこの島? - 瀬戸内海賊物語の感想

理解が深まる映画レビューサイト

映画レビュー数 5,784件

瀬戸内海賊物語

4.504.50
映像
4.50
脚本
4.50
キャスト
4.50
音楽
4.00
演出
4.50
感想数
1
観た人
1

映画「瀬戸内海賊物語」の中で村上水軍の財宝が見つかったのはのどこの島?

4.54.5
映像
4.5
脚本
4.5
キャスト
4.5
音楽
4.0
演出
4.5

目次

興味を惹く3つの謎 

映画「瀬戸内海賊物語」では見つかった村上水軍の財宝は中村玉緒が扮する村上絹子によって、今治にある村上家の本家の蔵の中に仕舞われてしまうのですが、財宝が見つかった島の名前は明らかにされていません。

あの気になる洞窟のあった島は何処なのか? 

それから、柴田杏花ちゃんが演じていた村上楓の祖先で、映画の冒頭現れる村上景親とは誰なのか?

更に、楓のライバル宮本愛子の祖先の塩飽水軍とはどんな集団だったのか?

これもこの映画「瀬戸内海賊物語」を深く鑑賞するには知っておきたいテーマだと感じましたので、ここで考察してみます。

映画の中で財宝が見つかったあの島はどこ? 

小学生の4人が水軍船を漕いで辿り着いたあの隠された洞窟のある島は実際にあるのです。それは、昔から村上水軍伝説の残っている伊吹島ではないかと考えられるのです。

映画の中では、表立って楓たちが住んでいる島の名前は明らかにされていませんが、撮影ロケが行われた小豆島であることは映像の背景に小豆島の広告看板がたびたび映ることから明らかです。その小豆島から伊吹島は子供たちが操る手漕ぎ船では普通はとても行ける距離ではありませんが、潮の流れに乗れば不可能ではないとも思われます。

伊吹島は、香川県の観音寺市の沖合4kmにあって瀬戸内海を広く見渡す開けた位置にある島です。ここに村上水軍は航行する船を見張る監視塔を設けていたのです。

映画に出てくる岩の割れ目を人工的に広げたとみられる洞窟があり、実際、昭和37年には村上水軍財宝発掘探検隊が結成されて中へ人が入っています。

映画では、楓たちが今治の村上水軍博物館を訪れた時に、柴山館長役の西岡徳馬さんが村上水軍や塩泡水軍、それに統領村上武吉について子供たちに語り聞かせていますが、財宝が隠されていた島を捜すために重要なのでここでその話を補足しておきます。 

村上水軍は、戦国時代に毛利家と組んで強力な軍事力を背景に瀬戸内海の通航権を握り、航行する商用船などの船舶から通行料を徴収して航行の安全を保障するとともに、水先案内人として船を誘導する役割も果たしていましたが、通行料を払わない船に対しては海賊となって積み荷を奪うなどの攻撃を加え恐れられていました。

その戦闘力は村上武吉の時代に最強となって、織田信長軍や豊臣秀吉軍をも悩ませた程でした。

その村上水軍の本拠地は、現在はしまなみ街道が通る芸予諸島の伯方島と大島の間に浮かぶ能島にあったのですがここは後に秀吉軍に占領されたため、ここを放棄して村上武吉は一時九州の菊地家に身を寄せています。ですので、能島には財宝は隠されていなかったと思います。 

その後、関ヶ原の戦いに向けて西軍の総大将となった毛利輝元の協力要請を受けた村上武吉とその息子村上景親が阿波讃岐を勢力下に置いたことから、小豆島の皇踏山(おうとさん)にも財宝の隠し場所として伝説は残っていますが、その根拠は江戸時代に島の遊女が持っていたというお守りに村上水軍の財宝の隠し場所が記された地図が入っていたというもので、その地図も不確かなもののようです。しかも、水軍の神ともよばれた村上一族が財宝を山に隠すとは考えられません。瀬戸内海の地理に熟達した村上水軍には島と呼べない岩礁も含めれば数えきれないほどの隠し場所があるのです。

やっぱり、島でしょ。それも、関ヶ原の戦い以降、徳川の監視下にあって水先案内人としての役割が許されていた周防(山口)の屋代島ではなく、その頃は単なる荒天の際の避難場所として確保していた讃岐の)伊吹島に財宝は隠されていたと考える方が妥当だと思います。

香川県観音寺市の郊外には巨大な寛永通宝の形をした砂山が存在します。この地方では昔からこの砂山が村上水軍の財宝を隠している伊吹島の方向を指し示しているという伝説があります。さらに財宝を受け継いだ村上家の子孫の誰かが後世に財宝のありかを伝えようとしたモニュメントだとする説もあります。

そういうことで、実際の撮影現場となった劇中で財宝が隠されていた島は別なのかもしれませんが、原案と脚本を書いた大森研一氏がイメージした隠し場所は伊吹島であったのだと思います。

まだ発見はされていませんが、映画「瀬戸内海賊物語」影響で村上水軍の埋蔵金探しは再び脚光を浴び始め、全国からこの映画のロケ地を巡るツアーに人が殺到しています。瀬戸の島から村上水軍の財宝が発見される日は近い気がします。

柴田杏花ちゃんが演じていた村上家の祖先で、映画の冒頭現れる村上景親とは誰なの?

村上水軍の隆盛期の頭領の村上武吉については先ほども少し触れましたが、映画の冒頭場面でその武吉と共に船団の船主で横笛を武吉から譲り受ける柴田杏花ちゃんが扮する少年村上景親とはどんな人物だったのか、作者の大森研一氏が楓役の柴田杏花ちゃんのイメージに重ねたかった人物がもうひとりいたのではないかということを考察してみました。

村上景親は、村上武吉の次男で関ヶ原の戦いの時期に兄の元吉と共に蜂須賀氏の阿波の猪山城を落城させる武功が伝えられる以前、初陣の時に武吉から家宝の横笛を授けられたエピソードがあるだけで、極めて目立たない存在の人物でした。

そのため、父と兄が毛利家に請われて帰参したのにも関わらず景親は豊臣家の婿養子小早川秀秋に従ったのです。つまり、実際の影親は、海の支配者として武功を重んじると言うよりも人間関係の隙間を上手く渡り歩いて一家の安泰を願うサラリーマンタイプの人間だったようです。

たぶん大森研一氏は映画の重要なモチーフとなっている笛を父武吉から受け継いだ記録の残っている景親とそのシーンを冒頭の場面で使っただけなのではないかと推測します。ですから、その後景親は一回もこの映画には登場しません。

では、大森研一氏が柴田杏花ちゃんのイメージに重ねたかった人物とは誰かと言うと、村上武吉の娘です。武吉と来島通康の次女との間にできた娘で、名前は伝わっていないのですが、この娘については男勝りの武勇伝が数多く記されていて、実際、伝承でも安宅舟と呼ばれた当時の戦艦に乗って敵を次々と襲い切り殺して海に投げ捨てた娘がいたそうです。

恐らく実在したこの人物をイメージして映画は作られたのではないかと思います。

楓のライバル宮本愛子の祖先の塩飽水軍とはどんな集団だったのか?

最後に愛子が誇りに思っている塩泡水軍についても考察してみたいと思います。

村上水軍の財宝を捜そうとする楓に対し「本当に強いのは塩泡水軍よ!」と挑戦的なセリフをぶつけた愛子でしたが、それには理由があったのです。愛子は、代々造船所を経営する家系の娘で、村上水軍と肩を並べる塩泡水軍の頭領宮本家の末裔だったのです。小豆島の西隣に位置し28島からなる塩泡諸島に拠点を置いて優れた造船技術と操船術で現代まで繋がる誇り高い家系に育った愛子は最初、徳川に破れて消滅した村上水軍の財宝など興味がないといった態度を取ったのだと思います。

なお、現代の塩泡諸島には瀬戸大橋が架けられて、一時は島に観光ブームがやってきて多くのレジャー施設も出来たのですが、船の需要がなくなり、やがてブームも去ると観光施設も解体撤去されてどの島も人がいなくなって寂れてしまいます。

まとめ

映画の中での村上水軍が遺した財宝が見つかった場所のロマンのある考察から始まった謎が、進むうちにどんどんと拡がって現代の瀬戸内海の島の社会問題へと行き着いてしまいました。 

だけど、映画の中の楓の冒険の発端が島の直面している問題の解決にあったのだから、箱の中の石板に書いてあった「人の世は浦原のごとし 上下心持一つにいたすべし」の通りで、人の心が共鳴すれば乗り越えられない問題はないと感じさせてもらえた物語でした。

 

 

あなたも感想を書いてみませんか?
レビューンは、作品についての理解を深めることをコンセプトとしたレビューサイトです。
コンテンツをもっと楽しむための考察レビューを書けるレビュアーを大歓迎しています。
会員登録して感想を書く(無料)

関連するタグ

瀬戸内海賊物語が好きな人におすすめの映画

ページの先頭へ