人生を深く強く本当の意味で生きるにはどうしたらいいのか その秘密を教えてくれる映画 - メルシィ!人生の感想

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人生を深く強く本当の意味で生きるにはどうしたらいいのか その秘密を教えてくれる映画

5.05.0
映像
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脚本
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キャスト
5.0
音楽
5.0
演出
5.0

目次

人生を「深く生きる」とはこういうことだとフランソワが疑似体験させてくれた

『メルシィ!人生』は、ありがとう人生という意味だ。

タイトルにもあるように、人生は希望を捨てなければ、主人公フランソワのように人生にありがたみを感じられる顛末を迎えられる、ということを期待させてくれる作品だ。コメディタッチで物語は進んでいくが、人生を深く必死で生きれば好転するということを教えてくれている素晴らしい映画だ。

リストラの危機を回避するため、会社主力商品の購入層からの批判を避けることを狙いゲイに扮したフランソワだが、彼の元の気質といえば大人しく当たり障りないことだ。ところが会社の商品の宣伝のためと、ゲイパレードも経験していくことで彼は驚くほどに強くなっていった。

映画の場合はゲイになりきることだったが、私はこの映画から、自分の素の性格とかけ離れていることをやりきるほどに、人は本当の意味で強くなっていくのではないかと感じた。

本来の自分とは全く違うことをやれば、人の心には強い負荷がかかる。当然ストレスは溜まる。フランソワも最初は乗り気ではなかった。

ところが一転、ゲイキャラを続けるほどに彼は周囲に自己主張を続けるようになった。これが本当の意味の「生きる」ということではないか、と私は考えさせられた。人の人生は、いつでもどこでも自分の思う通りのイメージを周囲に与え続けることなど不可能であることの方が多い。人の口は好きに言うものだからだ。もちろん自分も含めてだ。

人生は常に思った通りにはいかない。「自分は、自身で描いた通りの偶像を周りに印象付けながら生きていきたい」そんなことは、イメージ戦略もされている一部の芸能人でもない限り本来は難しい。

自分の希望するイメージが自分の周囲の心象となることが美しいことだとするならば、何も綺麗に生きようとすることだけが人生ではない。むしろ綺麗に型にはまった通りに生きようとすればするほどに、皮肉なもので真逆に進んでいくこともある。

彼の場合はゲイに扮することで彼の魅力が進歩する原点となった。自己主張もするようになり、女性から言い寄られ恋愛も楽しめるようになり、元妻に対するフィルター掛かった視点からも解放され言いたいことを言うようになった。

フランソワ自身もこんなに自分がゲイになりきることで変貌するとは思っていなかったはずだ。私はこの描写から、自分にとって難易度の高いことでも逃げずにやりきること。

これが本当の意味での「深く生きる」ということなのだろうとこの映画から学ぶことができた。

「深く強く生きる」ために必須である条件 それもフランソワが教えてくれた

フランソワは終盤になると元妻へ自分のそのときに持っていた感情を正直に伝えることになったが、彼は、元家族だった配偶者とその間にいる息子のことを愛しているのも事実だ。

特に息子への愛情はかなり深い。当初は自分を嫌がっていたこともあり、学内を移動中の彼を追ってまで食事の誘いをかけるほどだ。

フランソワは本来大人しいキャラなのだから、ゲイを演じることは難しいということを彼自身も予見していた。にも関わらず、最後まで拙いながらも淡々とゲイになりきった。彼も性格を考えればどこかでボロが出ると心配していたようだが、それでもチャレンジできた精神は、彼の息子を愛する心がそうさせていることも伝わってくる。全ては元家族を養うためだからだ。

人は、自分にとって難易度の高いものに挑戦するときや難しい境遇にあったときは逃げたくなるものだ。とはいっても、守りたいものがあるとか愛情をかけたいものがある、熱心に取り組んでいるものがあるといった人はやはり強い。

私は子供がいないのでそういった意味での守るべき対象はいない。それでも何か自分も熱心に頑張りたいことや熱中できることを見つければ、「もっと強く深く人生を生きていく」ことができるのではないかと自身の今後の人生にも期待をしている。

そうすれば彼のようにこれまでの自分から大きく進歩できるのではないかと、フランソワから教えられたからだ。

同時にこの描写からは、私自身の今までの社会生活のなかで見かけてきた、強く深く生きている人もつぶさに思い出してしまったほどだ。そういえば、あの人はあんなに辛い状況だったけど、頑張って乗り越えようとしていた。というような人たちだ。

乗り越えようとする人は、一人残らず全員が精神も強くなることができるスポーツ趣味を持っていたり、熱心に取り組んでいることがあったりというような人ばかりだった。

私は無意識ではおそらく漠然とこのことを思ってはいたのだろうが、どうもしっくりと自分の心に落とし込むことができなかった。彼ら彼女らと、自分は何が違うのだろうと不思議に思っていたからだ。

そのはっきりとしなかった感覚は『メルシィ!人生』を見たことで、解決できた。

サンティニとフランソワの関係は人を侮ることにおいての危険性を教えてくれた

フランソワが淡々とゲイを演じていくほどに、差別主義キャラである人事部長のサンティニは追い詰められていった。

今まではフランソワを目の敵にしていたわけだが、何しろ会社の主力商品の購買層からの批判もサンティニにとって怖いところだからだ。これまでの差別発言が災いしてリストラだと言われ、実際はおちょくられいるだけだったが、それもサンティニは見抜けない状態。

サンティニは、病んで精神病院に入院する。

この描写では、人間関係などいつどのように逆転するか分からないということも勉強させられた。弱い者がいつまでも弱いとは限らないというようにだ。

人の気持ちも終生ずっと一定することがないように、人間の立ち位置だとか関係性も永遠に一定していることなどないということをサンティニとフランソワの関係から教わった。

産業心理学士でもあった隣人ベロンと出会えたことで、試練を乗り越えたわけだが、このように人はいつどこでどんな縁故ができるのかも分からない。その人自身の力量を軽視していて、その評価が仮にその時点ではその通りのものであったにしても、人は刻一刻と成長していく。

人を侮ることの危険性も同時に教えられた展開だった。

フランソワの運命の分かれ道は、猫を救う優しい心があったこと 心根が良ければ人生は好転してく

隣人ベロンが猫をベランダに仕込んだことで、飛び降りようとしたときに目の前に現れた猫に気がとられ、ミルクをあげることになる。

もしも猫を救う優しい気持ちがなければ、彼は終わっていた。

映画の場合は、猫がきっかけとなっているが、このように別に仕込まれたものであっても、そうでない場合でも、思いやりのがる心があれば、「拾う神」も現れるということを教えようとしているのではないか、とそう考えさせられずにはいられなかった。

リストラは「捨てる神」猫は「拾う神」それが隣人ベロンという救いの神になった。

捨てられるときは、拾ってくれる神もいる。心根が良ければ。と

優しい気持ちがあれば、救われる機会にも恵まれ、やがてはかつての自分よりもずっと強く有意義な人生を送ることができる。

人生はプラスマイナスゼロとはいったものだが、捨てる神あれば拾う神ありから好転していくためには、他者を思いやる気持ちさえあれば、なんとかなるのではないか、とそんな明るい気持ちにもさせてくれる名作だと感じた。

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