父と娘の関係。メディアの引力に吸い込まれた世代の話
情報産業を読みきれず、本来的な使われかたが避けられたゲーム、ポケモン
1996年に産声をあげ、瞬く間にメガヒットを記録したポケットモンスター。初期では、赤と緑が発売され、各バージョンで出現するポケモンが違い、尚且つ通信交換機能を使うことでしか現れないポケモンなどもいて子供たちのコミュニケーション手段として期待されていたにも関わらず、初めのうちは勿論機能していたが、急速的な情報産業の発達、インターネットの普及や、一部のブルジョワが両バージョンを買い与えたお蔭で、外の世界にでようと意図したが、内に籠る引力に破れたこと対する反省。そのような、匂いがとてもしました。
真面目でグズなポケモン世代
ヒロインの少女の名前はミー(me)。アイ(i)マイ(my)ミー(me)のミー、つまりは目的格である。5才、6才で教室で画一的な行為を受けとる真面目君を量産してしまったことからきているのでしょう。結晶塔は、おそらくミーが作り出した内なる引力、繊細で強い自己愛を表していると思います。私自身がポケモン世代で、かなりの意気地無しなのでよく分かる。その癖して、自信が無いからすぐに無い物ねだりをする。少女から成長した姿をエンテイにお願いしたことからもそう思う。
お前は、ママだ。
子供との間合いが分からないのか知らないのか、「ママはいない」と言えない父の不器用な愛も世代を越えて作り上げてしまった嘘まみれのリアリティーみたいなものを知覚させる台詞だと思います。
社会の中の個人か、個人としての社会か。
人はポリス的な生きものであるとは言い当て妙である。いくら「俺はフリーランスだ」「コンピューターの世界で生きるんだ」と言われても結局はあなたが使っている機器や、コンピューター、それを購入するための貨幣や、クレジットは他の人がいなかればなかったことなんだよというところに落ち着きます。ラスト付近でのエンテイの行動は大人としての責務、ルギアでもテーマになった個人とは?にも結びつきます。家族や、人は確かに存在する。それと同時に確実に言えることは行動することも必ず必要で、力が強大になるに連れ責任も大きく膨れ上がっていくのも避けられないが、それこそが、大人として、親として、人として、果たさなければならない任務であり、名誉でもあります。だからこそ、ミーちゃんのような、繊細でとても愛らしい子を、外の世界の空気を吸わせて「おいしい」と囁いてほしいなと思いました。
最後まで、通読していただき、本当にありがとうございました。
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