ROCKというよりFUCK!
ウケ狙いの過激な表現
ヘビメタという音楽ジャンルに興味もありませんし、ほぼ聞いたこともありません。
しかし、ヘビメタをモチーフにしている内容なのに関わらず、「デトロイトメタルシティ」というアニメ作品は面白いです。麻雀はできないしルールも知らないけど、麻雀を扱っているアニメ作品「哲也」が面白いと感じるのと同じことなのかもしれません。ヘビメタを知りませんし、興味もありませんが、ヘビメタを扱っている「デトロイトメタルシティ」というアニメ作品を面白く感じてしまいます。これは凄いことなのではないしょうか。
ギャグ構成のアニメ作品であり、明らかに笑わせようとしている内容にも好感がもてます。
この「デトロイトメタルシティ」の面白さに、過激な表現を意図的にしていることが挙げられます。
まずは、主人公の根岸 崇一(ねぎし そういち)が所属するバンドDMCの新曲です。「SATSUGAI」など、インパクトの大きい楽曲が多く、それだけで笑わせようとしている意図が感じられます。あのように激しく「SATSUGAIせよ!」と叫ばれたら、その勢いに負けてしまって、思わず笑ってしまいます。あの笑わせ方は、卑怯だと感じてしまいます。
逆に、それだけの勢いが演出できることが素晴らしいのかもしれません。
あれだけ叫ぶようなシャウトを多用する声優は、さぞ大変だっただろうと思います。そして、原作の漫画をアニメ化するにあたって、楽曲化されたのも大変だったのだろうと思います。アニメ化するのであれば、漫画に登場する楽曲も制作しないと、アニメ化が成り立ちません。一般的な原作漫画のアニメ化より、「デトロイトメタルシティ」のアニメ化においては、手間が多かったことは間違いないでしょう。
また、如何に表現規制の緩いOVA作品とはいえ、よくぞここまで過激な表現に攻めたと感心させられます。
「SATSUGAI」をアルファベット表記していることで、露骨に表現するのではなく、少しでも抑えようとする意図を感じられます。他にも過激な表現は沢山ありますが、具体例を書き込むのも気が引けるので止めておきます(笑
ただ間違いなくいえるのは、レビューで文章を書くのも、気が引けてしまうような表現がアニメ本編でされているのです。下手したら、販売中止にも成り兼ねなかったのではないでしょうか。また、「ピー」音を入れて誤魔化すこともしなければならなかったかもしれません。
本当にギリギリのラインを攻めた描写をされていたのではないでしょうか。
また、DMCの所属する芸能事務所の女社長においても、口癖が「FUCK」だったり、「そんなんじゃ全然濡れねえんだよ」と必要以上に言葉遣いが汚くて笑えてしまいます。
めちゃくちゃ強い印象の「クラウザーⅡ世」を蹴り一発で倒してしまう女社長が、実は最強の存在なのかもしれません(笑
また、女社長の横暴さや身勝手さも面白く、周囲が振り回している様子がジャイアン以外の何物でもありません。恐ろしいほどにドS志向な人物像なので、芸能事務所が倒産すれば、SM倶楽部の女王さまになるのだろうと想像してしまいます。
主人公の魅力
「デトロイトメタルシティ」主人公の根岸ですが、根岸というキャラクター性による面白さは大きいです。根岸の二面性が物語本筋を形成する要素となっており、それにより笑わせられる場面も多いです。
デスメタル界の帝王と称されるインディーズ・メタルバンド「デトロイト・メタル・シティ」のボーカル・ギターの“ヨハネ・クラウザーII世”。しかし、その実態はおしゃれなポップ・ミュージックを愛する平凡で弱気な音楽青年・根岸崇一であった。この両者の間のギャップと根岸の苦悩がもたらす笑いを主軸とするギャグ漫画である。(参照元:Wikipedia)
インターネット上のフリー百科事典である「Wikipedia」には、上記のような記載もされています。しかし、私自身は、「デトロイトメタルシティ」の魅力は、根岸の二面性ではないと思っています。
私は、根岸が演じる「クラウザーⅡ世」というキャラクターが面白いのだと思います。
東京タワーに腰を打ちつけたり、お巡りさんをギターで殴って逃げたり、常軌を逸した行動が笑えてしまうのであって、「クラウザーⅡ世」の正体はどうでも良いように思うのです。きっと、「クラウザーⅡ世」だけに焦点を当てて物語を制作してみても、「デトロイトメタルシティ」と遜色なく面白いギャグ漫画が制作できそうな気がします。
「デトロイトメタルシティ」の面白さは、根岸の二面性で構成されているのではなく、「クラウザーⅡ世」の常軌を逸した行動にあるのだと思います。
根岸の優しさ
「クラウザーⅡ世」の魅力として、ただの暴走マシンではないことだと思います。
梨元 圭介(なしもと けいすけ)こと、資本主義の豚とも呼称されていたオッサンへの扱いは、クラウザーⅡ世の優しさや気配りは素晴らしいと思います。特に「クラウザーⅡ世」偽物が登場した際、資本主義の豚の扱い方をダメ出ししています。梨元に気を配り、梨元もステージ上で輝けるように気を配っていたことが伺える場面だったように思います。殴ったり、蹴ったりすることに良心が痛んでいるのではないのです。ステージ全体に気を配れている根岸の凄さを感じられます。やはり、根岸のもっている才能は素晴らしいものなのだと感じることができます。
また、ファンではない一般の方々に対して、ファンが迷惑をかけないように気を配っているのも素晴らしいです。
本来は、根岸が気にすることではないように思います。芸能事務所がトラブル防止の為に対応に追われることはあっても、それは根岸の仕事ではありません。しかし、根岸はそんなことも考えず、自分に責任を感じて行動しています。そんなところにも、根岸の人の良さが表れているように思います。
根岸が「クラウザーⅡ世」の正体であるからには、根岸のキャラクター性が、「クラウザーⅡ世」に反映されます。ただの暴走マシンなのでななく、根岸自身が、冷静な気持ちを忘れず、ステージを盛り上げる為の演出に徹している姿なのではないでしょうか。
数々の伝説
「デトロイトメタルシティ」主人公の根岸は、幸運な展開により、数々の伝説を残してします。
あまりの幸運ぶりは、漫画原作からOVA化された作品「カメレオン」の主人公である矢沢永吉を彷彿とさせます。ひょっとしたら、「デトロイトメタルシティ」の原作者は、「カメレオン」の影響を受けているのではないでしょうか。
あまりに幸運な出来事で、伝説・偉業を残すというエピソードは、あまりに「カメレオン」の主人公である矢沢永吉そのものです。「カメレオン」は不良を描いたコンテンツであり、「デトロイトメタルシティ」とはジャンルの違うコンテンツです。しかし、「カメレオン」の主人公の名前は、有名なミュージシャンである矢沢永吉であり、物語内容においては、音楽性はないものの、音楽に関連性が全くないわけではありません。
「デトロイトメタルシティ」においては、「カメレオン」の影響を全く受けていないと完全に否定もできないように思えるのです。
根岸家の家族構成
音楽をしたくて、田舎から上京してきた根岸の行動力は凄いと思います。
物語冒頭の場面から、凄い田舎だったことが伺えます。また、こんな環境で生まれ育って、音楽に目覚め、上京しようと思うことが素晴らしいことです。また、家族もそれを認めており、自主性を重んじる家風であることも垣間見えます。普通の感覚なら、絶対に止められると思いますし、確実に反対されることだと思うのです。
根岸自身が音楽活動を諦めたとき、帰れる場所があるというのも良い状況なのではないでしょうか。
間違いなく、一般的な家族構成や家風ではありません。「若い時に好きなことができるのは、若さの特権」というようなことを根岸の母親が語っていました。夢にチャレンジできて、失敗するも成功するも、全ては自己責任なのです。
そして、根岸自身も家族に対する感情は強いものです。根岸家において、家族愛が強いのも特徴的なことのように思います。ここまで親のことを思ってくれる息子の存在って、世間一般の感覚では少数派なのではないでしょうか。親からの大きな愛情で育てられた根岸が、親に対して、家族を思う気持ちを大切にしています。
家族の理想像とは、人によって考え方が違うのかもしれません。
しかし、根岸家は、間違いなく、家族の理想形の一つのかたちなのだと思います。
そして、根岸の弟が、「クラウザーⅡ世」の影響に感化される場面がありました。影響の受け方が酷いと思いましたが、母親は気にも留めていない様子でした。むしろ、好きなようにしなさい、と言わんばかりです。きっと、根岸が音楽をしたくて上京すると切り出した時も、同じように二つ返事で応援してくれたのだと思います。
それにしても、「クラウザーⅡ世」は根岸家で、普通に朝食を食べていた場面は、映像として面白いです。
違和感が尋常なものではありませんでした。それだけ画にインパクトがあって、笑えてしまうものがあります。そして、根岸の弟は、「クラウザーⅡ世」の正体に、いつ気付くのでしょうか。
甘い恋人
主人公の根岸が作詞・作曲したオリジナル曲という設定です。
歌詞や曲風がイタ過ぎで、これもウケ狙いの曲なのだと思います。ヘビメタとのギャップというより、単純に「甘い恋人」という曲が面白いです。背中が痒くなってしまいそうな、イタい雰囲気が漂っています。
それでは、何故にイタく感じてしまうのか、考えてみました。
まずは、菓子の甘さと恋人にイメージしている甘さを歌っていることです。残念ながら、恋愛は甘いことばかりではありません。むしろ辛いことの方が、断然に多いと思うのです。そんな現実を経験して歌っていないので、楽曲そのものがイタいのだと思います。主人公の根岸は、童貞で女性とお付き合いをした経験もないことがアニメ本編で語られていました。「甘い恋人」から漂っているのは、童貞であることが丸出しであるイタさなのではないでしょうか。
そして、根岸は至って真面目に作詞・作曲しており、歌っています。これは真面目に真顔で、面白いことを言うと、発言内容以上に面白く感じてしまう手法を用いられているのだと思います。
意図的に考えられた楽曲として、これだけのものを仕上げた作曲家が凄いことではないでしょうか。
また、一般的には「笑い」を意図して、楽曲をつくることはないと思うのです。そういった意味では「甘い恋人」という楽曲は、斬新なコンセプトの元に作曲された楽曲なのだと思います。
宗教レベルではないでしょうか
DMCのファンにおいても、常軌を逸したレベルで笑えてしまいます。
「クラウザーⅡ世」をリスペクトしているのでしょうが、そのレベルは尋常なものではありません。ファンの中では、「クラウザーⅡ世」は神格化されているのかもしれません。生きて実在する神様だと思うのです。
この構図は、音楽バンドとファンという領域を通り越し、宗教レベルだと感じられます。
メンバーの行動を「全て」好意的に解釈してくれる(または勘違いしてくれる)妄信的・狂信的、かつ熱狂的なオーディエンス。ほぼ全員が悪魔的な化粧を施したり、露出度が高い服またはゴスロリ系ファッションを着ており、X JAPANファンの「We are X!!」を彷彿とさせる「Go to DMC!!」の掛け声の下、団結力は非常に高い。またDMCを罵倒したり蔑んだりする者には容赦なく制裁を下す、DMCのためならば時と場所を選ばず集結する等、社会的に問題になりそうな行動も数多い。(参照元:Wikipedia)
上記は、インターネット上のフリー百科事典「Wikipedia」における「DMC信者」についての記載ですが、アニメ本編を観て、この文章を冷静に読むと、明らかに音楽バンドのファンという域を超えていることが伺えます。そして、「DMC信者」と記載されている部分にも注目しなければなりません。「信者」という言葉は、間違いなく宗教的なものを感じさせる表現だと思います。
この後の展開
根岸は、きっと「クラウザーⅡ世」として芸能活動を全うすることでしょう。
根岸は「クラウザーⅡ世」を辞めることはできないように思うのです。そして、「クラウザーⅡ世」として、数々の伝説を築いていくのだろうと想像します。
DMCが、NHK年末の紅白歌合戦で叫んでいるのを想像したら、引いてしまいますね(笑
でも、きっとそういうレベルのバンドグループに到達できる可能性のあるように思います。それは根岸の音楽性のレベルの高さを表したものであり、エレキギターが弾けるのも、根岸自身の語られることのない凄さだと思うのです。そして、「クラウザーⅡ世」として大成できたなら、本当にしたかった方向性の音楽の道が切り開けるのだと思います。
また、童貞感が丸出しの音楽も良くないと思いますので、多くの人生経験を踏むことも必須でしょう。そのことで、もっと良い作曲ができるようになるように思います。
そんな未来像を考えてしまい、笑わせることがメインの「デトロイトメタルシティ」ですが、良い物語なのだと感じられます。
とりあえず、根岸はヒロインと付き合うことができればいいですね(笑
クラウザーⅡ世について
「クラウザーⅡ世」の正体は、OVA作品「デトロイトメタルシティ」の主人公である根岸です。
言い換えれば、OVA作品「デトロイトメタルシティ」の主人公は「クラウザーⅡ世」と捉えられます。もし仮に、「クラウザーⅡ世」のキャラクター性が、「はじめの一歩」登場人物の鷹村 守のようだったらどうでしょうか。何故、鷹村 守なのか、というと根岸と正反対のキャラクター性だと考えられるからです。根岸のキャラクター性を「はじめの一歩」登場人物に置き換えるなら、主人公である幕ノ内 一歩であることは間違いないでしょう。
よって、主人公同士を置き換えてみても、キャラクター性が同じ同士なら変化は少ないように感じられます。正反対のキャラクターである鷹村 守の方が面白いと考えられるので、当てはめてみたいと思います。
あまりの傲慢さで、「クラウザーⅡ世」のカリスマ性は、もっと強固なものになったのではないでしょうか。また、残した偉業や伝説においても、根岸の場合より、さらに凄いものを残せたように思います。ただし、悪ふざけが過ぎるので、警察のお世話になる機会も多かったのだと推測されます。
ただし、鷹村 守という人の皮を被った野獣が、「クラウザーⅡ世」という別の皮を被ることでパワーアップしたように感じられるのです。むしろ、「クラウザーⅡ世」という存在の伝説は後世に、脈々と受け継がれるほど偉大なものになったことでしょう。プライベートの生き様においても、ロックな存在になったことは間違いないように思います。
また、女性とのお付き合いも、相当なものになったことでしょう。
ファンにも手をだしたことでしょう。そして、いくつもの女性と同時にお付き合いをしてしまうも、容易に想像がつきます。女性関係にだらしない「クラウザーⅡ世」像になり、まさにロックらしいと思えるのです。また、「クラウザーⅡ世」のファンにおいては、その事実を容認して、偉業を増やしたことも想像できます。
果たして、どちらの方が面白かったのでしょうか。
私は「デトロイトメタルシティ」というOVA作品が好きですが、根岸が違ったキャラクター性だったらどうだろう、と想像してしまいました。
ギャグ路線でありながら
基本的に、OVA作品「デトロイトメタルシティ」はギャグアニメなのだと思います。
しかし、アニメ本編における本筋は、根岸こと「クラウザーⅡ世」のサクセスストーリーであるとも受け止められます。果たして、本当に原作者の描きたかった物語は、どちらの一面なのでしょうか。きっと、私が個人的に考えるのは、サクセスストーリーだったのだと考えています。
きっと、原作者の方は、過去にミュージシャンになる夢をもっていたのではないか、と想像してアニメ本編を観ていました。
だから、自分のなりたかった姿を、「デトロイトメタルシティ」の主人公である根岸に反映させたように感じられました。ただし、物語として、読者を本編に惹き付ける要素が欲しかったのではないでしょうか。よって、ギャグ路線を強く打ち出したように思えます。
そのように考えた方が、物語の構成における必然性や整合性は高いのではないでしょうか。
それを表すこととして、物語冒頭におけるギャグ要素が、後半になると笑わせようとする場面の頻度が下がっています。明らかに、アニメ本編の前半・後半では、笑わせようとするギャグ要素の頻度が違うように感じます。
ただし、全体のバランスで量った時、ギャグ要素が強すぎて、サクセスストーリーである本筋部分が霞んでしまったように思えます。また、ギャグ要素のインパクトが強すぎて、サクセスストーリーの要素が霞んでしまっているのではないでしょうか。
ヒロインに正体バレるのか!?
アニメ本編の見どころとして、ヒロインの相川 由利(あいかわ ゆり)に、「クラウザーⅡ世」の正体がバレるのか、という部分は強かったように思えます。
バレそうになるけど、バレないという展開が続くことから、観る側にそう感じさせる要素は強かったように思います。しかし、アニメ本編では、最後まで、由利に正体が明かされることはありませんでした。また、由利自身が気付いている様子や場面もありませんでした。
「クラウザーⅡ世」の正体が、バレそうでバレない展開が、笑い要素として強かったです。
しかし、由利が「クラウザーⅡ世」の正体に気付いたとき、または正体を明かされたとき、由利はどんな反応をみせるのでしょうか。
きっと、思っているより何事もなく、根岸のことを受け入れるように思います。
由利は、他の男性にデートに誘われたとき、根岸に相談しています。それは、由利の根岸に対する恋心の表れだと受け取ることができます。根岸は気付いていませんが、由利は、根岸の人物像を理解して好きなのだと思います。
そうであるなら、「クラウザーⅡ世」というのは、根岸の仕事であり、演技であることも理解するように思えます。根岸の人間性を知っている由利なら、「クラウザーⅡ世」の正体を知って、根岸から離れていくこともないと予想されるのです。
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