人騒がせポケモン、ミュー - 劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション ミュウと波導の勇者 ルカリオの感想

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人騒がせポケモン、ミュー

3.53.5
映像
3.5
脚本
2.5
キャスト
3.0
音楽
3.0
演出
3.0

目次

世界のはじまりの樹は生きている

鉱物で出来ているようですが、草木が生えているせいで大きな木のような様相をしています。そして、人間のように生きているというのですから、ふーんととりあえずそうなのかと受け止めました。ミューがピカチュウたちと遊びたいがために連れ出し、結果世界のはじまりの樹にサトシたちもやってくるわけですが、そのせいでサトシたちは世界のはじまりの樹から見て体内に侵入してきたばい菌という認識でオレンジ色のヘドロのようなものに追いかけ回され、とうとう吸収されてしまいます。なるほど、と最初に受けた生きているという認識が結構細かく設定されていることで面白く描かれているなあと思いました。またピカチュウとミューたちが遊ぶシーンで、緑色の丸い物体に乗っかり、トンネルのようなところを通るシーンがあります。あれは世界のはじまりの樹の血管部分なんでしょうか。酸素の運搬や栄養等の流れにピカチュウたちも乗っかり遊んでいたとなると、ポケモンは世界のはじまりの樹と同じ成分で出来ているのでしょうか。排除されてないところを見ると、ポケモンは世界のはじまりの樹から生まれてきたのでしょうか。不思議です。

敵の大将が不在の映画

これといった敵がいません。最初はキッドが敵なのかと思いましたが、そうではなく、冒険家というサトシと同じ側のメンバーとして存在していました。最初、マニューラとピカチュウが闘っていたので、てっきりミューを捕まえようとしているハンターのような存在なのかと思ってしまいました。あと敵になりうるとしたらルカリオかなあとも思ったのですが、アーロンに忠誠を誓っていたルカリオがアーロンの裏切りで悪に染まる、なんていうベタな設定はありませんでした。しっかりラストを収め、回想シーンのルカリオのまま終わりました。私の読みと言いますが、勘のなさが露呈されていますが、結局最後までロケット団も特に悪さもせず、豪華なドレスに身を包み、ご馳走を沢山食べておしまいでしたし、何て平和的な映画なんだと。

もしもこの作品に黒を足すなら、人間という存在でしょうか。キッドは生態調査のために世界のはじまりの樹の成分採取をしていました。決して荒らしたり生態系を壊したりするほどではなく、世界のはじまりの樹に負担のないよう努めていましたが、やはり、人が踏み入れていない場所、また踏み入れたら排除されるような場所というのはちょっとお邪魔するだけでも敵になりうるんだなあと私は思いました。結果、ミューの能力の使いすぎか、はたまた排除しようとしたばい菌(人間)をまた表へ出すという正常では行われない過程が無理をさせたのか、生命のバランスを崩し、世界のはじまりの樹は崩れてしまいそうになります。

セレヴィの時とは違う自然について考えさせられる映画でも、敵がいるのといないのとでは勢いもまた違ってくるんだなあと思いました。

サトシの器用さにびっくり

あなたは気を沢山持っているから使えます。と言われても、どうやって内側から外へと気を出すのか方法を知りません。どこに力を入れて、どのように集中すればいいとか、そういった経験がないので、即興で気を操るなんてできません。しかし、火事場の馬鹿力のような才能を発揮するサトシはアーロンと同じ波動の持ち主ということで、グローブをつけただけでいとも簡単に波動の力を外に出すことができます。もしかして生まれ変わり?何て思いましたが、それはあまりにも出来過ぎた話になってしまうので、きっと違います。同じような波動を持っているという認識のもと、再考察すると、やはりサトシの凄さが目に映ります。素晴らしいですね。これは日常的なドジを帳消しにするイケメンっぷりで驚きました。主人公という存在は何かと特典が付いてくるので予想はできましたし、途中でルカリオがサトシをかばい、一人で頑張るシーンもチラ見の描写がなくても思考が読めました。ルカリオは現代に未練も何もありませんから。それよりもアーロンと同じ道をたどる方が彼にとったら幸せだということも最初の封印されるシーンからきちんと見ていればわかります。ルカリオは人間くさいポケモンで、結構好きです。伝説の波動使いと同じ波動を持っていると言われて、それをパーフェクトで表現するサトシに拍手です。

静かな悲しみが漂うラスト

ルカリオの最後を知っているのはサトシとキッドです。他のメンバーは知りません。ですから、全員再会した時にルカリオがいないことに気づくわけですが、そこでサトシは空を仰いで友達のところへ行ったのだと告げます。ピカチュウは悲しそうな顔をしていましたが、サトシはどこか大人びた表情をしています。確かに、もうこの世にルカリオは存在しませんし、むしろ封印されていなかったら会うこともなかった存在です。それがたまたま封印が解け、アーロンと同じような道のりを辿って行き着いた先がアーロンと同じなのであれば、それはそれでよかったのだと受け止めている。そんな表情をしています。サトシってこんなにも全てを受け止めるほど大人でしたっけ。生きることが全てではないし、悲しむだけが相手を想うことでもない。サトシのラストの表情を見て、考えさせられました。その人にとって何が一番いいか。生きること以外でもあるんだと思いました。

ことの始まりはミューの無邪気さ

ひとりぼっちというわけでもなさそうですし、なぜだかピカチュウたちを連れてもっと遊ぼうと企んで世界のはじまりの樹に連れて行ってしまったがためにアレヤコレヤで大変な思いをするわけですが、しかし、もしこれが確信犯だとして、ルカリオをアーロンの元へと旅立たせるためのシナリオだったとしたら、ミューは天然のふりした切れ者ですね。

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