『劇場版』としての役割を果たした作品 - THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!の感想

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THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!

4.004.00
映像
4.50
脚本
1.00
キャスト
3.00
音楽
5.00
演出
4.00
感想数
1
観た人
1

『劇場版』としての役割を果たした作品

4.04.0
映像
4.5
脚本
1.0
キャスト
3.0
音楽
5.0
演出
4.0

目次

まず最初にお断りしておく。あらすじは書かないし、ネタバレもする。読者の皆様が、既に本作品をご覧になっていることを前提とさせていただく。そして筆者はエセ・似非プロデューサーである。アイマス関連の知識に不備がところどころあるかもしれないが、ご愛嬌ということで。もっとも、深いアイマス関連の知識には立ち入らないように努力する。

さすが大将! 変わらぬ味だ!

まずなにより、映画で『アイマス』を見れた、ということが良かった。本作品は立派な『アイマス』だった。巷には映画化すると途端に本来の個性を失ってしまうような作品も多い中で、本作品は、大成功を収めたと筆者は思っているアニマス(狭義ではTV版の事を、広義では映画版を含めたアイマスアニメ化作品全般の事を言う)の意思をしっかり継いでいる。まぁもっとも監督は錦織敦史で変わらないわけだし、当然と言えば当然ではあるのだが……だがここではひとまず讃えたいと思う。

銀座のすし屋の大将だって、同じ味を維持するのは、同じ者が作っても苦労する。同じ味を維持できる者こそが――その味はどうあれ――本当の職人なのだ。

そしてアニメとは、職人芸が光る場である。逆説的に言えば、職人的でなければアニメではない。

職人的統一性を持つ、映画を含めたアニマスは、まさしく『アニメ』アイドルマスターだと言えよう。

でも大将、この鮪、脂乗り過ぎじゃあないかい?

ここまで褒めておいて何だが、脚本には?な所もあった。その最たる例が、矢吹加奈デブ化だ。

矢吹加奈捜索であそこまで盛り上げておいて、オチがデブ化だとは……もっとも既に人気を得ているキャラクターにそこまで無茶なことが出来なかったのはわかる。だが映画だったらもっと踏み込んでもよかった気がする。

これは少し外れる話だが、映画館というのは、常に暗いままというその性質からして、暗い話があう場所なのだ。しかし同時に、明るい話が似合わない場所でもある。明るい話で場面が明るくなれば、鑑賞者はその物理的な眩さに気を取られてしまうのだ。

実際、それまで映画に没入し映画館に居ることすら忘れかけていた筆者は、矢吹加奈デブ化発覚と共に、自分が映画館の中に居ることを認識せざるをえなかった。そしてそれは、映画への没入を失わせてしまった。

それはまるで、ギトギトな脂のテカリが、食欲をそぐみたいに。

大将、でもこの鮪、舌にすばらしい味が残るね!

脚本はダメだった。それは自明の事実だ。だが、本作品がダメだったかと言われればそんなことはなかった。いや、素晴らしかった。

ではそれは何故か。ズバリ、本作品を彩る曲、そして作画のおかげである。つまり、そういう視覚・聴覚といった感覚的要素が優れていたのだ。

映画が映像である以上、映像を読み取るのに必要な感覚的要素こそが、映画の評価の決定的要素である。そんな、映画のもつ脚本など無視できる魔力がもっともうまく引き出されているのが、本作品だったのだ

さてここからは、そんな感覚的要素が、どのようにして素晴らしかったかを、振り返っていくこととする

大将、この鮪、繊細な美しさだね! 

アニマスの代名詞と言ってもいいのが、その洗練された作画である。これはひとえに、元ガイナックスらしい作画技術を持つ錦織敦史監督のおかげと言ってもよいだろう。

海外のMAD(海外ではAMVと呼ばれる。知らなかったら、ask google !)でも、アニマスはたびたび見かけることがある。外人アニメファンの多くはアイドルものにそれほど関心を示さないのに、これほどまでに広がっているというのは、快挙ともいえるだろう。それはまさしく、芸術性にうるさい外人が、その映像的な芸術性を認めたということだ。

そしてそんな作画は、本作品でも惜しみなく披露されている。特にダンスシーンは、引きの絵以外は全て手書きである。そのクオリティは、息を呑むほどだ。何度でも見ることができる。

ここでも話はそれるが、アニマスシリーズのキャラクターデザインは、錦織敦史監督が担当しているのだが、これが実にすばらしい。筆者はアニマスから入ったクチなので、その後ゲームなどをやってみると、作画の落差に落胆したものだ。

錦織敦史のキャラデザは、本当に一級品である。天元突破グレンラガンや、パンティ&ストッキングwithガーターベルトなどの作品が錦織敦史によるキャラデザなので、気に入った人はこれらも見てみるとよいと思う。

大将、ケッサクだコリャ!

さてここからは、劇中歌の話題に移らせていただく。BGMも含めてすばらしいものばかりだったが、ここでは一つの劇中歌に話題を絞ろうと思う。

それは主題歌である「M@STERPIECE」作詞 yura / 作曲  神前暁(MONACA/ 編曲  神前暁、高田龍一(MONACA)だ。

映画のラストシーンを飾るこの曲は、その名にふさわしい完成度を誇っている。イントロを聞くだけで、体が震え、胸が高まり、目頭が熱くなる。まさしく、「Pは涙腺がガバガバ」状態である。

もう何というか、こんな曲を出されたら、降参というほかないだろう。これさえかければ、あの「恐怖!キノコ人間!」ですらケッサクになりかねないほどだ。この曲は、まさしく脚本を無視してしまう映画の魔力の根源とも言っていいだろう。

曲がすばらしい映画というのはいくつかある。筆者にとってみれば、「LEON」の「Shape of my heart」なんかがその代表だろうか。もっとも、この場合、内容自体も素晴らしかったので、本作品とは比較にはならないだろう。とにかく「M@STERPIECE」の魔力はずば抜けている。

また繰り返す話ではあるが、この「M@STERPIECE」が流れるライブシーンの作画も素晴らしい。あの部分だけは、アニメ史に残るという言い方をしても過言ではないだろう。

大将、カウンターの向こう側はどうなってるんだい?

ここまで来て、どれほど感覚的要素において本作品が優れているかお分かりになったことだろう。一方で、それは感覚的であるがゆえ、一般にとってもわかりきった良さであることもまた事実だ。

そこで、一つ上げたい本作品の気づきにくい良さは、その副題だ。

ズバリ、「輝きの向こう側へ!」だ。

もっとも最初これを聞いた時、筆者はなんとも思わなかった。むしろ、嫌悪感さえあった。何故なら、本作品でアイドルたちが、これまでに築いてきた栄光から突然に成長するようで、まるで今までの、アニマスでの苦難の結晶を、一瞬で無きものにしてしまうみたいに感じれたからだ。

だがその印象は、英題を見た瞬間脆くも崩れ去った。

To the other side of the light

邦題とはなんとなく趣が違うのがお分かりになるだろうか。邦題の場合、今持つ輝きを捨て、新たな何かを得る、と言ったような感じだが、一方で英題の場合、一つの輝きの一方の面からもう一方の面に行くというニュアンスである。英題の意味を介すれば、副題の意味していたところは、今までの苦難の上で成り立つ栄光の、新たな面が見れる、というものだったのだ。決して過去の苦難を、アニマスを、無下にはしていなかったのだ。

筆者はそれに気がついて、この副題がどんなに素晴らしいか思い知った。この副題は、本作品が、アニマスの延長上にある、『劇場版』であることを強く知らしめるものだ。

そして、冒頭で話した職人的統一性、あるいはこういう延長性こそ、ファンが『劇場版』で求めていたものである。

そういう意味で、筆者は最後にもう一度、本作品は素晴らしい『劇場版』だったと高らかに宣言しようと思う。

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