佐々成政の評価
佐々成政の感想
豪胆な戦国武士・「佐々成政」
豪胆な戦国武士・「佐々成政」原作者の郡順史(こおり じゅんし)は、葉隠の研究家としても知られており、葉隠、武士、サムライ達に関する多数の著書を出している。 著作の「佐々成政」は戦国期の猛将としても知られ、戦国時代の代表的なサムライである。 作者70歳を過ぎた高齢期に著作、出版している。戦国期の佐々成政(さっさなりまさ)は、織田信長により越中・富山54万石に封じられた。 成政は、富山城を改修し、城下の街並み整備を行うが、信長本能寺での死後は、勢力を伸ばしてきた羽柴秀吉に対して織田家再興をはかるべしと遠州浜松の家康に会って進言しようとする。これは、西に前田家、東に上杉家、南は秀吉の勢力範囲と全て敵の領地であったが為、冬季ながら立山黒部の山岳地を越えるべく決断するのである。成政一行は危険と苦難の連続、激しい雪崩に襲われながらも、とにかく立山を越える。 所謂、「サラサラ越え」(現在のザラ峠)で、家康...この感想を読む
少し地味だが・・・
織田信長といえばそのカリスマ性をもって天下人になる寸前までいきながらも、本能寺の変で明智光秀に討たれてしまった人物であるとして今日に至るまで、燦然と歴史上にその名を轟かせている人物である。なぜ佐々成政について書かれた本なのに、織田信長について書くのだろうと思うかもしれないが、おそらく成政について考えていく上では信長の存在は無視することはできず、実際にこの作品を読んでも信長という人物が成政にとっては全てであったように感じられた。そして何よりも成政の行動で有名なのが真冬の北アルプス越えであるだろう。この行動を駆り立てた一番の要因が信長への忠義心であり、それはすなわち秀吉が天下人になることへの強い反発であった。これがどのような帰結に至るのかはこの作品を読んで確かめてください。